1970年代に大ブームになった『ノストラダムスの大予言』によれば世界が滅亡するはずの1999年、57歳の新人歌手・大泉逸郎の『孫』が発売、ヒットして翌年には大泉が紅白歌合戦に出場した。当時も現在も山形でさくらんぼ農家を営みながら、歌手活動を続ける大泉に、名曲『孫』誕生と、成長する孫への思いを聞いた。
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山形でさくらんぼ農園をしながら、民謡歌手や結婚式の司会もして、趣味で歌も作っていたんですよ。平成6(1994)年、初孫の慎太郎が生まれた時に同じ集落の荒木良治さんに1日で詞を書いてもらって、私が曲をつけた。結婚式で歌ったら、欲しいと言う人がいたから、自分で吹き込んだカセットテープを配ったりしていた。
ところが、孫が1歳の時にウチの息子が急性骨髄性白血病で倒れた。無菌室で寝ている横で、孫がガラス越しに「パパ、パパ」と泣き叫んでさあ、涙が出たなあ。私の骨髄を移植して、なんとか助かった。失敗したら、『孫』はボツにしていたね。
平成8(1996)年に徳間ジャパンから8000枚自費出版したら、結構売れたんですよ。その2年後、地元のカラオケイベントで課題曲に選ばれて、そこからテイチクに話が持ち込まれ、次の年に57歳でデビュー。200万枚売れたの? 何枚とかあんまり関心ないんだよなあ(笑い)。何十曲も出したけど、俺はあくまで農家の人間だし、基本『孫』だから。