1977年に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親の横田滋さん(享年87)が、6月5日に亡くなった。だが、87年間の生涯は決して怒りと憎しみに埋もれた人生ではなく、妻の早紀江さん(84才)と共に歩んだ笑顔と慈愛に溢れた人生だった。
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43年間にわたった拉致との闘いの後半戦は、滋さんにとって病気との闘いの歴史でもあった。2005年に血栓性血小板減少性紫斑病という難病を発症し、2007年には胆のうの摘出手術を受けている。拉致被害者の「家族会」の代表はこの年に退任。2014年10月には転倒して前歯を折って7針縫うなどの大けがをし、1400回を超えた全国での講演活動は2016年3月を最後に中止していた。好きだったビールもやめた。
2018年4月にはパーキンソン病で入院し、今月5日に亡くなるまでは、滋さん自身が撮影した子供の頃の、そして、北朝鮮で撮影されたとされるめぐみさんの写真を飾った病床で帰りを待ちわびた。
「パーキンソン病は、体の動きをコントロールしにくくなる。早紀江さんは手足の関節が固まってしまわないように、毎日のように必死にマッサージを繰り返していました。温熱療法を受けるときも、ひざの状態がよくない早紀江さんが痛みを押して滋さんの体を支え、大汗をかきながら手伝っていたそうです」(社会部記者)
昨年からは食事もままならなくなり、胃ろうを選択した。めぐみさんと会う日まで生き延びたいと考えたからだ。
「それでも、味わう楽しみを忘れないようにと、早紀江さんは滋さんにほんの少しはちみつをなめさせるなど、工夫をしていました」(前出・社会部記者)
毎日のように病室で顔を合わせたふたりだったが、新型コロナウイルスの感染拡大防止により、約2か月の間、面会断絶。“最後の日々”を共に過ごせなくなったが、その際も、タブレット端末のテレビ電話を使ったり、手紙を書いて看護師さんに託したりと、滋さんを励まし続けた。
「滋さんは、のどを司る脳の部分が病に侵されていたので、声は出なかったのですが、『うんうん』と反応はしていました。早紀江さんが『めぐみは必ず帰ってくるから、頑張りましょう』と声をかけると、『頑張る』と口を動かしたといいます」(前出・社会部記者)