青森県の海沿いにある小さな町で、ひとりぼっちだった犬。自分にちょっと似た、やさしい母さんと出会い、商店の看板犬になったことからその物語は始まった。人気は全国区になり、住まいは“観光名所”になり、映画にも出演。多くの著名人も会いに来た。しかし、2017年に母さんがいなくなり、年下の“妻”も昨年空の旅に。そして今年6月8日、人間で言うなら90才を過ぎたとき、わさおは眠るように大好きな家族のもとへと走っていった。
2007年、青森県西津軽郡鰺ケ沢町で焼きイカ店を営む故・菊谷節子さんに保護されたわさお。長毛種の秋田犬で、ライオンのような見た目から菊谷さんは「レオ」と名付けた。レオが「わさお」として“ブサかわいい”と全国に名が知られるきっかけになったのは翌年春だ。旅行中にわさおを見かけた女子大生がブログに記事をアップ。名前を知らず「わさお」としたが、菊谷さんがその名前を気に入って“改名”したのだという。長年にわたってわさおをサポートしてきた「わさおプロジェクト」代表の工藤健さんが話す。
「私も初めはブログを見て会いに行ったんです。ブログを印刷して『こちらのワンちゃん、わさおと呼ばれて話題になってますよ』って。母さん(菊谷さん)は『え、まさお?』って言ってましたね(笑い)。『いい名前だ、いい名前だ』と言って、そのままわさおになったんです」
テレビや新聞、雑誌などで次々とその愛らしさが取り上げられ、国民的マスコット犬になったが、いわゆる“タレント犬”とは一線を画した。
「わさおも母さんもお金のために商品を宣伝したりするのはもう絶対に向いていないと思っているので、“わさお三原則”を行動指針にしてきました。“お互い様の精神であると”“地域性社会性があること”、そして“わさおと母さんが無理をしないこと”です」(工藤さん)
“わさおらしく、母さんらしく”──。一貫したそのスタイルこそ、“わさおブーム”が一過性ではなく長く愛された最大の理由なのだろう。
わさおに会いに来た人は数え切れないが、わさおにとっては「母さん以外はみんな一緒」なのだとか。
「どんなに有名人であっても、とびきりのわさおファンであっても、わさおにとっては母さんかそうじゃないかです。人間は母さんしかいないと思っていたかもしれない(笑い)。母さんが亡くなってからはぼくと散歩にも行ってくれますが、おやつという見返りがないと全然ダメ。50m置きくらいに振り返って“わかってるよな”という顔でこっちを見るんですよ」(工藤さん)
菊谷さんが亡くなった後、わさおの面倒を見ていた長男・忠光さん(56)もこう話す。
「そもそも敵同士ですから。病院で手当てするほど噛まれてね。でも、母親が亡くなったときに枕元で“わさおを頼むな”と言われて。“わかった、おれに任せろ。なーんも心配ない”って答えた。わさおも警戒してたけど、わさおが好きそうなちくわをたくさん買ってきて散歩するときに1本ずつやったんだ。そうするうちに仲よくなれた(笑い)」