遺言書が見つからない、相続財産の分配で遺族が衝突する、遺産が把握できない…故人の亡き後、さまざまな理由で“争続”は起こる。
愛する家族がトラブルに巻き込まれないためには、最後の責任として「遺言書」を残すことがいちばんだ。しかし、死を前にしながら“最後のメッセージ”を残すのは、簡単なことではない。師弟関係で結ばれる親子の間では最後にどのような言葉が交わされたのだろう。
1984年のロサンゼルス五輪、1988年のソウル五輪の柔道で2大会連続の金メダルを獲得した斉藤仁さん(享年54)と、2人の息子たちだ。
2015年1月にがんで命を落とす瞬間まで、仁さんは柔道家としての厳しい姿勢を崩さなかった。妻の三恵子さんが語る。
「入院中も日本の柔道界のことを気にかけ、お見舞いに来た人と1時間以上話し込むこともありました。夫は、まさか自分が死ぬとは思っておらず、遺言といえるような話はほとんどないんです」
仁さんが亡くなる当日、意識が薄れる仁さんに、「今日は子供たちの練習を休ませますか?」と、三恵子さんは尋ねた。しかし、仁さんは声を振り絞って告げた。
「稽古に行け」
図らずも「遺言」となったその一言は、息子たちの心を強くした。
「夫が亡くなったとき12才だった次男の立は、成長するとともに、『練習は嫌だったけど、あの言葉があったから頑張れた』と、父親の最期の言葉を前向きに受け止めるようになりました。長男の一郎は来年、大学を卒業するのですが、体育教師をやりながら柔道監督をめざすと話しています」
昨年の高校総体で、立くんは主将として国士舘高校を2連覇に導いた。目標は2024年のパリ五輪出場だ。
※女性セブン2020年7月9日号