東京高検の黒川弘務・前検事長の賭け麻雀問題を受けて有識者会議「法務・検察行政刷新会議」が開かれるなど、検察が抜本的改革を迫られている。中でも世間を驚かせたのが、検察とメディアの驚くべき癒着である。なぜ、こんな歪な関係が生まれたのか。元東京地検特捜部検事の郷原信郎氏と、官僚とメディアの関係性を問題提起してきたジャーナリストの長谷川幸洋氏(元東京新聞論説副主幹)が、一連の問題を語り合った。
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郷原:国民からの批判を受けた検察庁法改正の断念、賭け麻雀疑惑による黒川弘務・東京高検検事長の辞任を経て、林真琴氏の検事総長就任が決まりました。一連の件を踏まえて、検察とメディアのあり方をこの機会に見直そうと思っています。もともと長谷川さんと私は、安倍政権をめぐる論調は違うが、この点については、議論ができると思いました。
長谷川:メディアの側で言うと、大学を卒業して新聞社やテレビ局に入って最初に叩き込まれるのは「お前の調べはどうでもいい。お前自身は事件、事故を取材する『少年探偵団』ではない。警察、検察が何を調べているのかを聞いてくるのが、お前の仕事」ということなんです。これを誤解してマスコミに入ってくる者もいて、たとえば、現場の聞き込みで「そこに白いクルマが止まっていた」とか聞いてくると、それをそのまま記事に書こうとする。そこでデスクが「誰に聞いたんだ」と聞いて「私が聞いてきた」と答えたら「それではダメだ」ということなんです。
最初のサツ回りでそれを徹底的に仕込まれるので、東京に上がって霞が関や検察、警察を取材するときにも、彼らの話を聞いてくることが仕事になる。相手の言っていることが正しいか、間違っているかは、つまるところ、どうでもいいんです。間違っていても、それは自分ではなく相手の問題だと。真実を伝えるというのは、あくまで建前にすぎず、真実は役所なり警察検察が調べることだというのが、メディアの大前提になっている。少なくとも、日本のマスコミはそうです。だから自然と官僚のポチになる。これは記者の構造そのものなんです。
郷原:それがはっきりした形でマスコミと検察との形で出たのが、司法クラブであり、今回の黒川氏と記者たちとの賭け麻雀ですね。
長谷川:記者からすれば、検察官と麻雀なんてできたら、最高なんです。何時間、一緒にいられることか。「俺もついにここまで来たか」という充実感で一杯のはずなんですよ。相手の懐に入って、本音でいろんな話ができ、雑談ができる。おそらく、あの週刊文春の記事を読んで一番びっくりしたのはライバル他社でしょう。デスクに、「あれだけ、食い込まれてたのをお前は知らなかったのか」と言われた記者もいるんじゃないかな。