数々のスターを生み出したジャニーズ事務所だが、その歴史の中で絶対に避けて通れないのが『たのきんトリオ』だ。
当時、ジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦(た/トシちゃん)、野村義男(の/ヨッちゃん)、近藤真彦(きん/マッチ)の3人による『たのきんトリオ』。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系、1979年)の第1シリーズ出演後にブレークし、ジャニーズ事務所社長だった故ジャニー喜多川さん命名した。1枚のシングルも出さないまま、1983年8月、大阪球場で解散コンサートを行った。
そして、『3年B組金八先生』とは、1979年から2011年まで32年にわたり、断続的に第8シリーズまで放送された学園ドラマ(TBS系)。第1シリーズの最高視聴率は39.9%。武田鉄矢(71才)演じる教師・坂本金八が15才の妊娠という衝撃的なテーマを扱い、社会現象にもなった。たのきんトリオをはじめ、以降のシリーズでは亀梨和也、風間俊介、浅野忠信、上戸彩、高畑充希など多くのスターを輩出した。
武田鉄矢に、たのきんトリオの思い出を語ってもらった。
*
「1979年に始まった『3年B組金八先生』シリーズは、累計8作で、教え子は200人!」と、武田は胸を張る。たのきんトリオの生みの親が故ジャニー喜多川社長なら、武田は育ての親で、ブレークの陰の立役者といえる大きな存在だ。
「そもそも、すでに生徒役のオーディションが終わっていたところに、無理矢理ジャニー社長が10人くらいのメンバーを連れてきて、たまたまその中にいた3人がプロデューサーの目にとまり、追加で生徒役に選ばれたんです。それが彼らでした」と、武田は当時を振り返る。
「近藤は、ちょっと角刈りで、やかましくてね。人が寄ってくるとワンワンワンってよく吠える秋田犬みたいな子。
田原は、彼だけ役柄より実年齢が2才上で、教壇から見ていても、やっぱりそれが嫌だったんじゃないかな。周りについていけないっていう大人の顔をしていました。そして、クニャクニャで、デレーっとしてるのがヨッちゃん(笑い)」(武田・以下同)
3人が出演した第1シリーズで当初注目されたのは杉田かおる(55才)だった。
「当時は、子役から活躍していた杉田かおるが15才で妊娠するという難しい役を演じていて、ベテランの赤木春恵さん(享年94)らを相手に一歩も引かない見事な演技をする中で、それ以外の生徒役の子たちは、自分たちをガヤ専門だと思っている…そんな演技格差に悩む日々でしたね」
その“ガヤ意識”を取っ払ったのが、近藤真彦だ。
「15才の妊娠というセンセーショナルな内容で、少しずつ視聴率が上がり始めて、そこから後半につなげるために、7話はいわば息抜き的な回で、近藤がメインの話だったんです。だから、スタッフ全員が視聴率は落ちると思っていたのに、反して、その回だけバーンと19.9%に跳ね上がっちゃって。そこからクラス全員の“ガヤ意識”がガラリと変わりました。もう、バラしても怒んないだろうな…いちばん変わったのが田原の目の色です。所詮10代のガキですからね、教壇からはよく見えるんですよ(笑い)」