安倍晋三首相は7年前、成長戦略で「国民の平均年収を10年で150万円増やす」と掲げた。憲法改正や安全保障では祖父の岸信介首相を“お手本”にしながら、経済政策は祖父のライバルだった池田勇人首相の「所得倍増計画」を真似したのだ。その池田は東京五輪、首都高、新幹線など、派手な公共事業のイメージが強いが、そこにはある信念があった。政治ジャーナリスト・武冨薫氏がリポートする。(文中一部敬称略)
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「安保の岸」の次に登場した池田勇人首相は、「国民所得を10年以内に2倍にする」という「所得倍増計画」を掲げて日本経済を高度成長の波に乗せた。
池田の政治思想の基本は、「軽武装、経済重視」と評される。前任の岸信介首相が「自主憲法制定」「再軍備」を主張したのに対し、池田は日米安保条約という米国の軍事力の傘の中で防衛費の拡大を抑制し、経済成長を優先させた。
それが池田の創設した派閥・宏池会など自民党「保守本流」の基本路線となって日本の戦後復興の方向性を定めたといえる。
大蔵官僚出身の池田は、1949年の総選挙で初当選するとすぐに吉田茂内閣の大蔵大臣に抜擢され、米軍占領下でGHQとの経済政策の交渉を任された。
折からの朝鮮戦争で警察予備隊(自衛隊の前身)が発足し、政府は米国から軍事費拡大の要求を突きつけられる。池田は唯々諾々とは従わなかった。著書『均衡財政』でこう書いている。