安倍晋三首相は憲法改正や安全保障では祖父の岸信介首相を“お手本”にしながら、経済政策は祖父のライバルだった池田勇人・元首相の「所得倍増計画」を真似した。その池田は東京五輪、首都高、新幹線など、派手な公共事業のイメージが強いが、そこにはある信念があった。政治ジャーナリスト・武冨薫氏がリポートする。(文中一部敬称略)
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池田の所得倍増計画は、農業の近代化から、産業配置や道路や鉄道、発電所などのインフラ整備、住宅政策、社会保障とそのために必要な予算までが緻密に組み立てられ、日本の経済社会構造を「復興から成長へ」と転換させる長期計画だった。
その大きな柱が、戦後の国土計画の骨格となった「全国総合開発計画」(1962年)だ。
東京(京浜)、名古屋(中京)、大阪(阪神)、北九州を結ぶ「太平洋ベルト地帯」に重化学工業地帯を形成するプランで、この4大工業地帯の周辺に鉄鋼、石油化学コンビナート、発電所がつくられた。池田時代に東名、中央などが次々に着工されてベルト地帯を結ぶ高速道路網が広がり、東海道新幹線の建設が進んだ。
開発のテコとなったのが1964年の東京五輪だった。五輪の開会式を控えた10月1日には、羽田からメーンスタジアムの国立競技場に近い渋谷まで首都高が開通し、同日、新幹線が開業した。
池田は明確に、五輪は日本を「復興から成長」へと向かわせる仕掛けだと位置づけていた。