コロナ禍など、暗い話題が多かった今年の上半期。そんな中、爽やかな気分にさせてくれたのがオーディション番組『Nizi Project(虹プロジェクト)』だった。
どうして私たちは今も昔もオーディション番組に惹かれるのだろう。少し振り返ると、1990年代も日本でオーディションブームが到来していた。
1995年10月に始まった『ASAYAN』(テレビ東京系)は、歌手を発掘するだけにとどまらず、『夢のオーディションバラエティー。ASAYAN』という番組名となり、オーディションの枠をモデル、女優、デザイナーなどに拡大。
そして、大きな転機となったのが、つんく♂(51才)のプロデューサー就任だった。番組がブレークするきっかけとなった企画『シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション』が1997年4月にスタートする。1991年のバブル崩壊から6年。不況が続く中、人々は歌手になりたいと懸命に頑張る彼女たちの姿に一縷の希望を見出していく。
同オーディションを受けたときは24才。「大阪で会社員をしていた」という歌手・女優の中澤裕子(47才)。
「番組で大阪会場の告知を見たとき“これは受けなきゃ”と、すぐに応募に関する情報をメモしました。私は極度の方向音痴なので、“もし、無事に時間通りに会場に到着できたら、ご縁があるということ”と思って家を出たら、ちゃんと着けました(笑い)。それから何時間も待って、一次審査は2~3分。だけど“これを受けなきゃ、チャンスはない”と思っていました」(中澤・以下同)
オーディションの参加者はほとんどが10代だった。
「最年長だったので、かおりん(飯田圭織)やなっち(安倍なつみ)は、“ゆうちゃんは怖かった”と言ってました。オーディションは緊張する場所なので、プライベートな会話や雑談もしませんでした」
合宿では世代の差を実感。
「“動きやすい靴を持ってきて”と言われてたので上履きみたいな靴を持って行ったら、みんなはスニーカー。私は会社員だったからスニーカーなんて持ってなかったんです。後から、メンバーから、“ゆうちゃんの上履きが面白かった”って言われました(笑い)」
【profile】
中澤裕子/歌手・女優●1973年生まれ、京都府出身。『モーニング娘。』のオリジナルメンバーで、初代リーダー。現在は、福岡在住で情報番組などのコメンテーターを務める。
※女性セブン2020年8月20・27日号