完全を求める人は、少しでも欠陥があるものを拒絶する。でもそれは、とても窮屈な生き方になる。コロナ問題は命に関わるものだから、当然細心の注意と警戒が必要だ。とはいえ、リスクをゼロにすることはできない。早くからコロナ問題をテーマに取材してきたジャーナリストPete McArdle氏は、「絶対安全」を求める風潮を皮肉たっぷりに批判する。
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コロナパニックを正常に戻すには、まず子供たちを学校に戻らせる必要がある。親たちもそれを必要としている。しかし、教員組合と民主党の指導者たちは、そうは考えない。彼らは子供の安全が第一だと言いながら、カメラ目線を意識している。そして子供たちは苦しみ続けることになる。
残念ながら、絶対安全というものはない。子供たちはどうやって学校へ行くのか。徒歩も一つの方法だが、行方不明の子供たちの記事を読むと、「学校に歩いて行くのを見たのが最後だった」という親の悲痛な言葉が飛び込んでくる。交通警備員がいるにもかかわらず、通りを横断するだけで、一定数の子供はケガをしたり、命を落としたりしている。自転車に乗れば誘拐のリスクは減るかもしれないが、クルマに衝突されるリスクは同じだし、転倒した時のケガのリスクは高まるだろう。
バスに乗って行くのはずっと安全な選択に思えるが、飲酒運転や薬物中毒のスクールバス運転手の恐ろしい記事を読んだことがない人はいないだろう。スクールバスに子供が轢かれてしまう事故もあれば、バスの中で眠ってしまった子供が暗い駐車場で目を覚ますという事件も起きている。親がクルマで送っていくのが一番安全かもしれない。その親が酔っぱらっていたり、ジャンキーだったりせず、優れた運転歴を誇っていると仮定すれば、だが。そして、それでも多くのクレイジーなドライバーによって道路の外に跳ね飛ばされることは心配しておくべきだろう。
小さなジョニーにとって、学校に行く最初の危険は、仲間の子供たちだ。彼らは小さな野蛮人である。神のご加護に期待しながら、子供たちはそこでゆっくりと文明的な振る舞い方を学んでいる。が、皆がそうなるまでは、ジョニーは仲間からからかわれたり、いたずらされたり、いじめられたりするだろう。ジョニーの体格や態度によっては、ランチ代を強奪されたり、暴行や性的虐待を受けたりすることもある。