俳優の渡哲也さんが8月10日、肺炎のため亡くなった。78才だった。渡さんの体調が急変したのは8月9日未明のこと。午前4時に緊急搬送された。緊急搬送前に渡さんと会った知人はこう話す。
「渡さんは、最期の苦しむ姿を石原軍団の人たちには見せたくなかったんじゃないかな。肺気腫の症状がかなりつらそうで、『肺が左右両方潰れているみたいだ』と聞いた。でも、肺が機能しなくなっても最期まで、俳優・渡哲也の風格を失っていませんでした」
渡さんは長年、肺気腫を患っていた。医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんが解説する。
「肺気腫とは、肺の中にある肺胞が壊れてしまっている状態です。空気を吸って吐く際には、この肺胞が伸び縮みしますが、機能しなくなると、濁った空気を体の外に出せず、新鮮な空気を取り入れることができなくなり、息苦しくなってしまうのです」
肺が両方とも潰れる──この状態になると、生活はどう変わってしまうのか。
「肺気腫で両肺が潰れるというのは、かなりの重症です。全速力で走った後のような息苦しさが続き、酸素吸入器が必要になる。最期は肺炎で亡くなったということで、空気のないところで呼吸をするような苦しさがあったのかもしれません」(前出・上さん)
渡さんは若い頃から、病魔に蝕まれていた。1972年、葉間肋膜炎。1974年、胸膜癒着症で大河ドラマ『勝海舟』を途中降板。1975年、肺感染症。その後、体調は回復したかに見えていたが、1991年に直腸がんの手術の結果、人工肛門での暮らしとなり、2015年、急性心筋梗塞。2016年には、肺気腫や喘息などのため、酸素吸入器をつけて生活していることを明かしていた。
この長く続く闘病の間、ひとときたりともそばを離れなかったのが妻の俊子さんだ。ふたりは、青山学院大学在学中に知り合っていた。
「渡さんは空手部に在籍していましたが、その渡さんが一目惚れしたのが、大手鉄鋼会社役員の娘である俊子さんでした。結婚式は1971年にハワイで、ふたりだけで挙げています」(芸能関係者)