【書評】『徳川の幕末 人材と政局』/松浦玲・著/筑摩選書/1700円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)
徳川十四代将軍・家茂が大坂城で急逝した時、21歳の若い死を嘆く者は三名だけだったと悼むのは越前の松平春嶽である。あとの二人は、老中の板倉伊賀守勝静と勝安房守義邦(海舟)だった。保身をはかる他の幕臣はすぐに一橋慶喜をかつぐ有様である。幕府に人がいなかったわけではない。ただ統制麻のごとく乱れる末期症状を呈していたのである。
一橋派や開明派といっても、開国や改革の意味を正しく理解していない点に幕府の悲喜劇があった。一例として著者は、日米修好通商条約交渉でハリス領事による同種貨幣の同じ重量による交換を認めた岩瀬忠震(ただなり)の不手際を紹介する。
重量だけで銀を比較すると日本の一分銀はメキシコドルの3分の1の価値にすぎない。銀の価値が高い日本でハリスの保有貨幣を三倍に化けさせる仕掛けを認め、金の大量流出を引き起こした。「解っている筈の岩瀬」がハリスの詐欺まがいの外交トリックにはまったのだ。「岩瀬の罪は重い」というのは正しい。
せめて対米交渉に水野忠徳をもってくればこの詐欺に引っかからなかったかもしれない。水野は、日英関係を巧みに処理し、日米通商条約にも慎重な姿勢を示した人物である。本来なら条約批准書の交換で渡米すべき人材であった。岩瀬と水野では開明派官僚といっても能力や識見に格段の差がある。人事のミスマッチこそ幕府瓦解の深刻な要因だと本書に教わる。