認知症の母(85才)を支える立場の女性セブンN記者(56才・女性)が、介護の裏側を綴る。今回は、母の行動から思い出される、懐かしい記憶についてのエピソードだ。
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母の部屋のテーブルに芯を抜いたトイレットペーパーが置いてあった。穴の内側からペーパーを引き出してティッシュ代わりに使うのだ。奇妙な風景だが、50年前、高度経済成長期と呼ばれたキラキラした時代の名残だ。
子供の頃、食べるものすら「なーんもなかった」
「ママ! トイレットペーパーはいま、貴重品なんだよ!!」
そう声を荒らげてしまったのはこの春、コロナ禍のデマ騒ぎでペーパー類が品薄になったとき。私の住む地域ではかなり長引いたので、母が無頓着に使うことに少々神経質になっていた。しかもトイレではなくテーブルに置いて、鼻をかんだりその辺を拭いたりするのに使っているのだ。
しかし、ロールの芯を抜いて中からペーパーを引き出すという使い方を見て、現実のイラ立ちは吹っ飛んだ。奇妙なその使い方は、半世紀前にも見たことがあるのだ。
私はまだ小学校の低学年。小学1年生のときには大阪万博があり、親戚で団体旅行を組んで訪れたり、大賑わいのデパートの催事場で喜々として買い物をする母について回ったり、断片的な記憶だが、つねにキラキラした雰囲気に包まれていた。その中でも強烈に記憶に残っているのが、母が催事で買ってきたあるアイディアグッズだ。
黄色い毛糸で編んだシルクハット形をしたもので、てっぺんに穴が開いていた。芯を抜いたトイレットペーパーに被せると、穴からペーパーがスルスル取り出せる。
「手品みたいでおもしろいじゃない!」と、母は私と一緒になってはしゃいでいた。
いまのように箱入りティッシュが気軽に使える時代ではなかった。水洗トイレが普及し始めた時期で、ロールになったトイレットペーパーも母たちには画期的だっただろう。それを卓上でも使えるようにと考案された商品だった。
「ママが子供の頃はね、ものがなーんにもなかった。今日食べるものさえなかったんだから」と、母はよく言った。
“ものがない” というのは当時もいまも、正直、ピンとこないのだが、生活必需品でないもので暮らしを彩る喜びを、全身で享受していた母の姿はよく覚えている。