徳川家康の江戸城入城から430年。世界の大都市に発展した東京23区の区境では、知られざる闘いが今も続いている。江戸川区と千葉・市川市、江東区と大田区の争いについて紹介する。
東京・江戸川区と千葉・市川市がしのぎを削る「河原番外地」
東京都と千葉県の境界線は古くから江戸川の中心線と定められてきたが、1919年に水害対策で放水路を開削して直線的に東京湾に注ぐ流れ(江戸川)と、従来の江戸川(旧江戸川)に分岐したことをきっかけに境界線をめぐる争いが生まれた。
問題は、1943年に両川の分岐点に建設された江戸川水閘門(すいこうもん)だった。水閘門ができたことで三角地帯の中洲が形成され、旧江戸川の流れがやや西側に変わったからだ。
市川市は、現在の流路に合わせて境界線を移し、中洲一帯を市川市の領域にすべきと主張。一方の江戸川区は、旧来の境界線に従えば中洲の一部に江戸川区の飛び地が発生すると主張した。
問題が発覚した1978年以降、双方の話し合いが続けられているが未解決のため、中洲は現在「河原番外地」と呼ばれ、土地開発は手つかずのまま推移している。