当時のメンバーは青木幹雄・官房長官、森喜朗・幹事長、野中広務・幹事長代理、亀井静香・政調会長、村上正邦・参院議員会長で、会合では村上氏が森氏に「あんたが(総理を)やればいいじゃないか」と発言し、森後継の方針が決まったとされる。
「五人組の密議」で選ばれた森内閣が最後まで国民の信任を得られなかったように、正当なプロセスで選ばれた総理でなければ国民は信頼して国の舵取りを任せることができない。
自民党の歴史には、総理の体調悪化で政権が交代したケースが4回ある。政治評論家の有馬晴海氏は「選び方」によって後継政権の安定度が違ってくると指摘する。
「病気退陣した石橋湛山首相から岸信介首相、池田勇人首相から佐藤栄作首相への交代は、いずれも総理総裁になるべく研鑽を積み、総裁選で次点だった有力者がすんなり後継者に選ばれたことで党内が納得し、後継政権は安定した。しかし、小渕首相急死の後、五人組によって一度も総裁選に出馬したことがなかった森喜朗首相が選ばれると、“加藤の乱”が起きるなど政治の混乱を招いた」
残りの1回は“大福戦争”と呼ばれた党内抗争を受けたハプニング解散による総選挙中に急死した大平正芳首相の後の後継者選びだ。この時は、首相臨時代理だった伊東正義・官房長官でも、大平派の後継者とみられていた宮沢喜一氏でもなく、キングメーカーだった田中角栄氏と親しい鈴木善幸氏が選ばれた。しかし、鈴木首相は「日米同盟は軍事同盟ではない」と発言して米国との関係を急速に悪化させるなど、「暗愚の宰相」と呼ばれた。
総理・総裁は自民党が選ぶが、国民が納得する選び方でなければ、不安定な政権ができて結局は国民が苦しめられることになる。
もはや国民の信を失いつつある安倍首相の後任選びで、自民党はそうした過去の教訓を生かせるのだろうか。
※週刊ポスト2020年9月4日号