海岸の埋め立てや河川の護岸工事などで、地形が変わってゆくことがある。それに伴い東京都の地形も日々変わってゆく。また、繰り返される住居表示の変更から、地名と実態が奇妙な関係を示すこともある。南大塚が大塚の北にある謎と、23区最南端の変遷について紹介する。
なぜ「南大塚」は「大塚」の北にあるのか
JR山手線・池袋駅の隣駅の大塚駅は、現在の乗客数は池袋駅の10分の1程度と少ないが、戦前は池袋よりもはるかに賑わう地域だった。今でも駅周辺の商店街や街並みに、かつて栄えていた頃の名残りを見ることができるが、この地区全体を俯瞰して眺めると、どうしても首をかしげたくなる地名・番地がある。
文京区の「大塚」の北側に、豊島区の「南大塚」が配置されているのだ。
そもそも文京区の「大塚」は江戸時代から続く由緒ある地名だった。ところが、その北側一帯が住居表示法に基づいて町の再編を行なった1969年に、大塚駅を挟んで北側の「巣鴨」を「北大塚」に、南側の「西巣鴨」を「南大塚」に名称変更した。こうして「大塚」の北に「南大塚」がある、という不思議な位置関係が生まれたわけだ。
伸びつづける23区の最南端
東京の“南北問題”と言えば、東京23区の最南端は羽田空港(大田区)にある。
1931年開港当初の羽田空港は、幅15メートル、全長300メートルの滑走路1本の小さな空港だったが、現在は千代田区の約1.5倍もある巨大空港となり、23区の最南端は2010年に供用が開始されたD滑走路の南端部分に。横浜市の20%近くが、23区の最南端よりも北に位置することになった。
空港の拡張工事に伴い将来的に埋め立てが進むと、さらに最南端が変わる可能性もある。
地図製作■タナカデザイン
※週刊ポスト2020年9月4日号