おそらく、日本人とアメリカ人は野球好きの双璧だろう(台湾もそうかもしれない)。しかし最近のアメリカでは、アメリカンフットボールやバスケットボールに比べて「退屈だ」という批判を受けることも増え、これは他の競技と同じだが、選手の政治的言動が物議を醸したりして、人気にはやや陰りが見える。普段は政治問題、社会問題に健筆を奮うジャーナリストRichard Jack Rail氏が、大ファンである野球への熱い思いを綴った。
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友人のコラムニストGlenn Beaton氏が、自分のコラムでプロスポーツ観戦をやめるよう人々に呼びかけたのは、選手たちがプレーより政治を優先しているように見えることに怒ったからだ。それには異論はないのだが、野球に関して彼が「退屈なスポーツだ」と切って捨てたことは看過できない。
私の考えでは、もしあなたが野球を好きになれないというなら、ゲームが悪いのではなく、むしろあなたの中に問題がある。確かに、激しいアクションを好む人には野球は向いていないかもしれない。しかし、フィジカルな戦いと同じくらい、あるいはそれ以上にメンタルな戦いでしのぎを削る競技を好む人にとっては、野球は最高のスポーツなのだ。
展開が緩慢だということは、ある面では他のスポーツよりも知的な戦いであることを意味する。そこにはピッチャーとバッターの駆け引きがあるからだ。左腕として歴代最多勝利(363勝)を誇る往年の名投手ウォーレン・スパーンは、「打撃とはタイミングだ。そして投球とはタイミングを外すことだ」と語った。今日のカメラでは、昔のファンが見ることのできなかった投打の駆け引きをはっきり捉えることができる。スピードの変化、きわどいコースをつく重要性、熟練したキャッチャーのサポート、そして、ストライクゾーンを正確に理解し、高速で動く投球をしっかり見極める審判の役割など。
野球はまた、おそらくテニス以外のどの主要スポーツよりも個の戦いだ。プレーはピッチャーが一人でボールを投げるところから始まる。バッターは一人でボールを打つ。野手は一人で守る。この競技でエラーは重大な問題になる。一つのプレーには一人しか関わることができず、そのプレーが連続してゲームを構成し、同時に大観衆の歓声を呼び起こす。すべてのプレーははっきりと衆目に晒される。うまくやったか、ヘマしたか。