8月28日に辞任を発表した安倍晋三首相だが、その前に慶應大学病院に2週間連続で訪れて検査を受けたことが、永田町に波紋を広げていた。持病の潰瘍性大腸炎が原因で所信表明演説の2日後に退陣表明した13年前の記憶が甦ったのだ。振り返れば安倍氏に限らず、病気を理由に退陣した総理は少なくない。
第1次安倍政権を含め、病気で辞任した総理は、石橋湛山、池田勇人、大平正芳、小渕恵三の5氏。だが、石橋を除いて本当の病状はすぐには公表されなかった。
池田は東京五輪開催1か月前の1964年9月、「慢性喉頭炎の治療と検査」のため国立がんセンターに入院。実際は咽喉がんだったが、外部はおろか、本人にも伏せられ、その後の五輪閉会式翌日、退陣を表明した。
選挙中に帰らぬ人となった大平の病状も伏せられた。1980年5月30日、史上初の衆参同日選挙の参院選公示日に遊説先から帰宅後、胸の痛みを訴え深夜に入院。「過労による一過性の不整脈」と公表されたが、実際は心筋梗塞で6月12日に死去した。当時、自民党の広報を務めていた政治アナリスト・伊藤惇夫氏は、倒れる1~2週間前に異変を感じたという。
「分刻みでスケジュールが決まっている総裁遊説中、突然トイレに駆け込んで姿が見えなくなったので大騒ぎになりました」
大平の後を継いだ鈴木善幸首相の主治医で、外遊随行医も務めた水町重範氏は著書『総理の随行医』で、鈴木が「総理総裁ともなると健康が何よりだ。ましてや大平さんの病死の後だしな」と語っていたと書いている。同書によれば、外遊中の首相は起床時と就寝時に必ず体温と血圧を測り、異常がないかチェックしていたという。細心の注意を払ったこともあり、鈴木は無事に2年4か月の首相任期を全うした。