9月に入ってもなお厳しい残暑が続いている。思えば今年の夏は、新型コロナウイルスの感染拡大、遅い梅雨明け、そして40℃に迫る酷暑が列島を襲うなど、例年とは違う様相だった。子どもたちにとっても、夏休みそのものを体感できない異例の夏だったと言えよう。
夏休みといえば「自由研究」や「読書感想文」などが宿題の代表格だった。それとともに、「夏休みの友」などの学習帳が思い出に残っている人も多いのではないだろうか。
夏休みの学習帳は、休暇中に自分で勉強できる教材として開発されたもので、戦後は都道府県ごとの教職員組合などが主体となり、ガリ版印刷などで手作りされたものが存在していた。元小学校教師で教育評論家の親野智可等(おやの・ちから)氏が解説する。
「戦後においては、日常的に授業をしている先生が自前で教材をつくるのはとても無理なので、地区ごとに教材をつくる団体があり、そこが手弁当で教材を作っていた。その後、都道府県の教育委員会を中心に作られる地域も出てきました。内容は地域によって異なり、日記や国語や算数などの学習帳を1冊にまとめたものや、それぞれの科目を分けたものが作られました」
昔の「夏休みの友」の現物から、昭和の子どもたちの生活を覗いてみたい。
古書店で入手した昭和32(1957)年7月発行、山梨県立教育研修所と山梨県教職員組合が企画・編集した小学1年生向けの『なつやすみのとも』は「もう すぐ なつやすみ せんせいと いっしょに よんだり かいたり いたしましょう」という言葉から始まる。
実際に鉛筆で子どもらしい文字で書き込まれた本書の元の持ち主は、当時の小学1年生の女の子とみられる。