過去、数々の暴力事件を起こし、事務所倉庫からロケットランチャーが発見されるなど、突出した凶暴性で全国にその名を知られた『工藤會』(本部・福岡県北九州市)。全国唯一の「特定危険指定暴力団」であるこの組織が、警察の徹底的な取り締まりにより、弱体の一途を辿っている。
2014年には事実上のトップ3、野村悟総裁、田上不美夫会長、菊地敬吾理事長が殺人や組織犯罪処罰法違反など4件の市民襲撃事件に関与したとして逮捕。現在、3人の公判が福岡地裁で開かれている。7月31日の公判では、野村被告が被告人質問に臨んだ。この日、紺のスーツにノーネクタイで現われた野村被告は、補聴器を付けて証言台へ。元漁協組合長の射殺事件(1998年)などについて検察から問われ、「一切関与していません」と無罪を主張。そのほかの事件についても、全て関与を否定した。
最盛期の2008年には1200人の構成員等を抱えた工藤會も、いまや半数以下の500名ほど。かつて“最強の武闘派ヤクザ”と呼ばれた工藤會の今の姿を、その壊滅に半生を捧げた捜査指揮官はどう見ているのか──ジャーナリストの末並俊司氏が、伝説の元福岡県警マル暴トップに話を聞いた。
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「彼らと戦った日々を、いまでも昨日のように思い出します」
8月初旬のある日の昼下がり、福岡県北九州市小倉の喫茶店でそう話し始めたのは、藪正孝氏(64)。1975年から2016年に退職するまで、福岡県警の刑事として暴力団対策部門に携わり、暴力団対策部副部長、北九州地区暴力団犯罪捜査課長などを歴任。まさに工藤會の壊滅に警察人生の全てを注いだ男である。
県警を退職後、公益財団法人「福岡県暴力追放運動推進センター」の専務理事を務める藪氏は、この5月に工藤会と福岡県警の30年にわたる戦いを記録した『県警vs暴力団 刑事が見たヤクザの真実』(文春新書)を出版した。
「当たり前ですが、暴力団はどの組織も暴力的です。ただ、工藤會は他の団体に比べると次元が違った。カタギだろうと警察だろうと容赦なく狙う。こんなヤクザはいままでなかった」(藪氏。以下同)
工藤會の前身となる工藤組は、戦後間もない1946年、博徒系の組織として生まれた。その後、九州進出を目論む山口組と衝突しながら、勢力を拡大していった。
だが、1992年に暴力団対策法が施行され、北九州市民に暴力団反対の機運が高まる。
「脅しに屈さず、みかじめ料の支払いを拒否する人や、組員の立ち入りを拒む店なども現われ始めた。県警も工藤會への圧力を一層強めました。ただし、こうした情勢が組員の凶暴性に拍車をかけた。『窮鼠猫を噛む』ではないですが、あちこちで刃傷沙汰、発砲事件を繰り返しました。2003年に小倉のクラブに構成員が手榴弾を投げ込み、12人が重軽傷を負います。これ以前も県警は様々な方法で工藤會弱体化に力を注いできたのですが、この事件をきっかけに捜査の抜本的な見直しが必要だと、県警全体が認識するようになりました」