病に苦しむ安倍首相の無念を引き継ぐのは官房長官として長年政権を支えてきた菅義偉氏しかいない──そういう空気のなかで菅政権は誕生した。菅氏は総理になるにあたり、「叩き上げの苦労人」というイメージを巧みに利用してきた。
だが、ノンフィクション作家の森功氏は著書『総理の影 菅義偉の正体』(小学館刊)で、その人物像に疑問を呈す。菅氏の父・和三郎氏は名産いちごの出荷組合長で、「(組合は)いちごだけで年三億円の売上があったほど」(菅氏の友人の由利昌司・元湯沢市議会議長)だった。
〈和三郎はいちご組合を率いるかたわら、雄勝町議会の選挙に出馬し、町会議員にもなる。地元の名士として、頼りにされる存在でもあった〉(同書より)
暮らしも余裕があり、「(菅氏の)家は小学校のときから羨ましがられていた」(同前)という。
また、菅氏は巷間、「集団就職で上京した」とされ、総裁選でもテレビなどで取り上げられてきたが、これについては本人から証言を得ている。
「農業を継ぐのも嫌でした。それで、ある意味、逃げるように(東京へ)出てきたのです」
「高校でちゃんと就職を紹介してもらってこっちへ出てきています。それが段ボール会社で、そこで働き始めたんです」
中学卒業後にみんなで上京して、というイメージとはだいぶ異なる。しかし一方で菅氏は、「高校を卒業すると、東京に出る友だちもいっぱいいたし、それも集団就職」と明確な否定はしなかった。
彼が演出するイメージはどれだけ本当なのか。
※週刊ポスト2020年10月2日号