世界最多のコロナ被害者を出しているアメリカでは、感染者は700万人に迫り、死者は20万人近くに達している。感染率も死亡率も日本とは桁違いであり、市民の恐怖や絶望も全く違う。そのアメリカでも特に被害の深刻なニューヨークから、ジャーナリスト・佐藤則男氏がコロナ禍の日常をリポートする。
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コロナウイルスが暴れ出して以来、マンハッタンは、少し大袈裟に言えば人間が人間らしく暮らすことのできない街になってしまった。事実、コロナウイルスが街中あちこちを汚染し、まるで遠慮なく人間の体に入り込み、その機能を侵し、死に至らしめている。自分がそうなってしまった時、人々はもはやウイルスを追い出すことはできないことに絶望し、「なぜ、こんなことになってしまったのか」と運命を呪う。お年寄りや病人ならば、死の影に怯えることになる。病室で家族とも友人とも隔離され、一人で戦い、死んでゆく人たちが毎日出ている。アメリカ全土では、そんな孤独な死に至った人が20万人近くになった。この途方もない数は、日本の読者には実感が伝わりにくいかもしれない。まさに悲劇である。悲しい、無念な一つ一つの死が20万も積み上がってしまったのである。なんという恐ろしいウイルスであろうか。しかし、おそらくそうした微生物は、地球に生命が誕生して以来、いくらでも現れてきたのだ。
さて、筆者はしばらく「疎開」していたコネチカット州から、久しぶりにマンハッタンの我が家に帰り、街に出てみた。その活気のなさに、改めてウイルスの脅威を見せつけられ、行き場のない憎しみがこみあげてくる。ヘアカットし、夕飯を買うことにした。途中、いつも満席だった有名なレストランが、歩道にテーブルを出し、卓ごとに花を生け、きれいにクロスをかけて準備を整えているが、客はひとりもいない。従業員たちは手持ち無沙汰で突っ立っている。「密」を避けるため、このように店外の空間のみ、レストラン営業が許可されている。レストランにしてみれば、1ドルでも収入が欲しいのである。だが、きっと今日も徒労に終わるだろう。
レストランを素通りし、スーパーに入った。こちらは活気がある。当たり前である。外食できなくなったニューヨーカーたちにとって、貴重な食料供給所である。買い物客は、しっかりマスクをつけ、他の客とソーシャルディスタンスを保とうと目を配っている。誰もが、一人くらいは悲しい死を迎えた人の話を周りで聞いているだろう。ここではウイルスによる死があまりにも身近なので、うつされるのも、うつすのも怖いのである。