芸能人や漫画のキャラクター、音楽、映画、ドラマ、舞台……。多感な時代に、誰しも一度はわれを忘れて熱中した対象があるはずだ。ジュンさん(53才)は、ごく普通の家庭に育った中学生時代から、結婚して1男2女の母となるいままで、松田聖子(58才)一筋だ。そんなジュンさんが、松田聖子の“親衛隊”だった時代を振り返る。
* * *
初めてコンサートに行ったのは中学3年生の夏。それまではどうやってチケットを取っていいかわからなかったし、ひとりでコンサート会場に行くのも怖かったんです。でも、1982年8月14日、京都会館(現・ロームシアター京都)でコンサートがあることを新聞広告で知り、思い切って申し込みました。
チケット代は2800円。中3の私にはかなり大きな額でしたが、それまで貯めたお小遣いでなんとか購入して、ひとりで行きました。中学生でひとりで来ていたのは、周りを見回しても私くらいで、最初は圧倒されちゃいました。でも、コンサートが始まったら、聖子に集中。手のひらが痛くなるほど夢中で拍手してました。
生の聖子をこの目で見ることができた感激はいまも忘れませんが、私の人生にとって、それ以上の収穫がありました。「親衛隊」との出会いです。
ファンクラブの会報
聖子のファンクラブが発足したのは1980年7月。その時点で私はすぐにファンクラブに入りました。会報は2号から持っていて、現在の分まですべて大切に保存してあります。中学1、2年までは雑誌の切り抜きや会報で見る聖子で満足していたけど、コンサートで生聖子を見るや、「ファンクラブ以上の活動がしたい!」と思った私は親衛隊に入ることにしたんです。
世間からは「親衛隊なんて不良の集まり!」なんていわれていました。……たしかに、本当に不良みたいな見た目の人がいて、最初はちょっとだけ怖かったです。当然ですが、みんな私より年上ですし。
だけど、聖子を応援したい気持ちの方が強くて、入ってみたら、実際はみんな普通の人たちでホッとしました。ただ、体育会系のノリで、上下関係は厳しく、隊長をはじめとする幹部クラスには敬語を使わないといけないルールがありました。