1983年から1985年にかけて放送された『金曜日の妻たちへ』シリーズ(TBS系)。当時30~40代女性たちの心をわしづかみにし、“金妻ブーム”などと呼ばれる社会現象まで巻き起こしたこのドラマ。一体何が魅力的だったのか……。3シリーズすべての脚本を手掛けた鎌田敏夫さんのインタビューから解き明かす。
1作目は初挑戦尽くしだった
現代でこそ受け入れられるようになった、自立した女性の生きざまや、夫婦のフラットな関係を描いた『金妻』。当時は大きな冒険だったのではないか。「金妻」誕生の裏側を鎌田さんはこう明かす。
「3作品の中で、脚本作りにもっとも苦心したのが、作品の人気を決定づけた1作目でしたね。というのも、いままでに描かれたことのない、まったく新しいドラマを作ろうとしたからです」(鎌田さん・以下同)
それまで、ホームドラマの舞台は下町が主流で、“東京郊外にドラマはない”とされ、そこを舞台にしたドラマは作られていなかった。というのも、下町には古くから大家族が多く暮らしており、近隣住民との関係も深かった。世代の違うさまざまな人々が交わる場所には、自然とドラマが生まれるため、物語の舞台にしやすかったのだ。
一方、1980年代の東京郊外は若い世代が多く暮らしていた。都心は地価が急上昇していたため、彼らが暮らすにはハードルが高い。しかし郊外では新興住宅地が次々と開発され、中流家庭でもがんばればマイホームを手にできる環境にあった。そこで多くの若い世代が地方から引っ越してきた。
彼らの多くは、実家が地方にあるため核家族で、近隣住民も同じようによそから移ってきた人たちばかり。古くからの知り合いなどはおらず、表向きの近所づきあいがあっても、下町ほど深い交流はあまり見られなかった。そのため、ドラマは生まれにくいと思われていたのだ。
さらに、郊外に暮らす30~40代は“団塊の世代”に当たり、それまでのホームドラマではきちんと描かれてこなかった。鎌田さんは、そんなドラマのない場所をあえて舞台にし、これまで深掘りされてこなかった世代にスポットライトを当てて、まったく新しいドラマを作ろうとしたのだ。