【著者に訊け】温又柔氏/『魯肉飯のさえずり』/中央公論新社/1650円+税
魯肉飯と書いて、台湾語ではロバプンと読むそうだ。
「先日ある方に『正確にはロォバアプーンでは?』とご指摘を受けたのですが、私にすれば台湾人の母がその料理をロバプンと呼ぶ時の声とか、八角の香りや味が根拠で、正確も何もないんです。むしろなぜ日本では一つの正しい答えや普通であることを求められるのか等、見えない抑圧と闘う物語を書きたかったので、このタイトルごと味わってほしいです」
温又柔氏の新作『魯肉飯のさえずり』は、日本人の父〈深山茂吉〉と台湾人の母〈雪穂〉の娘に生まれ、大学を卒業後、サークルの憧れの先輩〈柏木聖司〉に望まれるまま永久就職した〈桃嘉〉の現在と、〈パパがいた。だからママ、日本に来た〉と言って知人もいない国に嫁いだ雪穂の若き日を、母娘それぞれの視点で交互に描く。
外見も家柄も申し分ない人気者の聖司と誰もが羨む結婚をした桃嘉。だが自身の価値観を疑うことを知らない柏木家の人々とは接点すら見出せず、聖司も〈日本人の口には合わないよ〉と言って、母直伝の魯肉飯に箸を付けようともしない。彼は〈ふつうの料理のほうが俺は好きなんだよね〉と弁解したが、そもそも「ふつう」って、何?
台湾出身の両親と3歳の時に来日。台湾語や中国語や日本語が雑多に飛び交う環境に育ち、自分は何者かを問い続けずにはいられなかった著者自身、違和感こそが創作の原動力だった。
「私が通ったのは日本の普通の小中学校でした。そこで自分の普通と友達の普通はどうやら違うらしい、そうか、うちがおかしいのかと思った途端、日本語以外の言葉が全部、雑音に思えてしまったんです。
この桃嘉のように、ちゃんとした日本語を話せない母親を恥ずかしく思ったり、普通の日本人に憧れたりもしました。でもある時、気づいたんです、おかしいのはそう思わせた社会の方だと。そしてなぜ自分はその空気に呑み込まれてしまったのかという問いが、私の小説を書く原点です。
今回は自分とほぼ等身大の主人公だけでなく、母親側の視点にも挑戦したくて、普通に憧れて自分を見失う娘と、かつて同じような抑圧に悩んだ母の、言葉を巡る物語を書きました」