コロナ禍で苦戦する全国の映画館を応援しようと、4人の映画人がオンライン・トークショーを行っている。『ミニシアター押しかけトーク隊「勝手にしゃべりやがれ」』と題したイベントでは、賛同した劇場で上映された作品について、荒井晴彦(脚本家、映画監督)、森達也(映画監督、作家)、白石和彌(映画監督)、井上淳一(脚本家、映画監督)の4氏がオンラインで縦横無尽に語る。その模様は、上映直後の映画館の観客が観覧できるほか、YouTubeでも公開されているが、ここではそれを活字化してお届けします。最初の作品は、『仁義なき戦い』。白熱の後編です(文中一部敬称略)。
「おれ、やくざ、嫌いだもの」
井上:荒井さんは深作欣二さんの演出を見ていて思うことはありますか。笠原和夫さんは最初、『仁義なき戦い』を深作さんが撮るのをいやがったんですよね。
荒井:深作さんが笠原さんに電話して、「脚本を一行も変えないから、おれにやらせてくれ」と言ったというのね。
井上:その前に『顔役』(1965)で深作さんが笠原さんの書いたホンをこんなんじゃ撮れないとめちゃめちゃ直した挙げ句、体調を崩して、石井輝男に監督が交代するということがあった。
荒井:そうそう。でも映画を見て、「間違っていた。深作でよかった」って言っていますよね。
井上:みんながほめる金子信雄なんですけど、最初は三國連太郎さんにオファーしたらしいんですよね。それが断られて金子さんになったら、ああいう山守を演じて、笠原さんは、いくらなんでもやり過ぎだろうって、あそこまでやったらさすがに神輿が軽過ぎて担ぐ奴はいなだろうって。もう一個、実録にしては、やくざを美化しすぎだろうとも言っているんですが、当時、そういう評論とかはあったんですか。
荒井:いや、それはわかんない。ただやくざ映画に対する否定的な雰囲気はあったから、あったのかなあ。でも「キネマ旬報ベストテン」でやくざ映画が上位(『仁義なき戦い』が2位、『仁義なき戦い 代理戦争』が8位)にきたのは初めてじゃないかな。それまではやくざ映画とロマンポルノはベストテンの圏外だった気がする。ロマンポルノがキネ旬ベストテンに入った時に、ベテランの映画評論家は選考委員を辞めるということがあった。
井上:それまでやくざ映画に見向きもしなかった朝日新聞がはじめて映画評で取り上げ絶賛したとも、笠原さんが書いてましたね。
森:さっき井上さんが『仁義なき戦い』を初めて見た人はどういう感想を持つだろうって言ったのはぼくも興味あるところで、今はもうやくざというのは反社会的勢力なわけでしょ。当時におけるやくざの位置と今の位置とはぜんぜん違う。それこそ『仁義~』のときには実録だから、自分をモデルにした役を俳優が演じるとき、太秦の撮影所の中で、「わしはそんなこと言わん」とか「そこでハジキを撃ったんじゃ」とか(笑)演技指導までしたっていう話があるけれど、いわば共同制作ですね。今なら大変な問題になります。基本的には反社会的な存在だから、テレビの画面においても彼らは顔を出せない、必ずモザイクの入る存在です。別にルールじゃない。自主規制です。
40年以上も前だけど、例えばテレビドキュメンタリーの世界では伝説的な存在であるRKBの木村栄文が撮った『祭りばやしが聞こえる』(1975)は、九州のテキ屋の親分と組員たちを撮っています。もちろんノーモザイク。でもそんな作品はもう作れないと誰もが思っていた。だから3年前に東海テレビが『ヤクザと憲法』(2016)というドキュメンタリーで、大阪の指定暴力団「二代目東組」に密着して放送したとき、テレビ業界の人たちは僕も含めて、大きな衝撃を受けたんです。何だよ撮ってもいいのかよって。『ヤクザと憲法』は放送後に再編集して映画になったけれど、最初の印象は、やっぱりやくざたちがみんないい顔しているんです。『仁義~』は当然みんな俳優さんたちがやっているんだけど、当時は、距離が近かったんじゃないのかな。今、『ヤクザと憲法』を見てもそのままキャラクターがピラニア軍団として『仁義なき戦いに』に出てきても全く違和感がない存在で、いろんな意味で『仁義なき戦い』のなかでは作りものなんだけど、それが反転してリアルになってしまっているみたいな不思議な印象を、今回『仁義~』を再見しながら、あらためて感じました。
白石:ほんとうに、じゃあ、ここで撮影しますって言ったら、その地元の組の人が交通整理しに来てくれて、「任しといてください」って言って、ぜんぶやってくれるっていう。
井上:それを言ったら、われわれの師匠の若松孝二も若い時は新宿の安田組にいて、撮影現場の交通整理をしていて、助監督になった人ですからね(笑)。