独演会を開けば大盛況で、チケットが取れない落語家として常に名前が挙がる立川志の輔(66才)。コロナ禍によりいくつかの公演で中止や延期が余儀なくされ、しばらく高座から離れていた。
そして取材日に訪れたのは復帰後まもなく行われた「傳志会」。志の輔、談春、生志、雲水と立川一門の兄弟弟子が顔を揃えた。
「約5か月ぶりに高座に上がって、お客さんから反応があるのはこんなにもうれしいものなのかってね……」(立川志の輔・以下同)
じっと目を瞑り、しみじみと噛みしめるように志の輔は語り始めた。
「コロナのご時世に電車やバスに乗って、会場でも消毒してトイレへ並ぶにも間隔に気を使ってとご苦労をなさってまで、お客さんはよく来てくださった。こうして顔を合わせて生で落語を聴いていただけることがどんなに幸せなことだったか、骨身に染みています」
自身も休み中に観劇する機会があり、見る側として込み上げてきた想いがより生へのこだわりを強くしたという。
「落語は余分なものを排除し、想像力をかき立てる芸能です。同じ噺を聴いてもそれぞれ脳のスクリーンで描く情景や人物像は違い、“笑わせてもらおう”ではなく“笑ってやろう”と自ら落語の世界へ入ってきてくれないと味わえない。
その意味ではCDで聴く方が落語は伝わるかもしれません。でも高座ではこちらがしゃべって、客席から笑いや拍手をいただいてキャッチボールができます。
その日限りの空間が生まれ、見る側もやる側も“今日来てよかったな”“今日はいい日だったな”と共有した時間の余韻に浸れるのは生ならではの醍醐味。この感覚が求められていると感じるんです」