推古11年、聖徳太子は冠位十二階を色で区別し、濃紫を最上級、薄黒を最下級とした──。かくのごとく古代から日本人は色にこだわってきたが、その正確な分類は近代まで待たなければならない。日本色彩研究所・シニアリサーチャーの名取和幸氏が語る。
「1927年に画家の和田三造氏が日本標準色協会を設立し、色と色名や記号の規格作りが始まりました」
戦後の経済発展において、色は視覚的に人を引きつけ、心理的な影響も与える重要な役割を担ってきた。1960年代、「新・三種の神器」のひとつであるカラーテレビが高級なイメージを生み、自動車も青、黄色など多様な色が人気を得た。1970年代には公害が顕在化し、エコロジー社会の到来を機に、カーキ(鈍いイエロー系~黄緑色)などのアースカラーが流行する。
1980年代初頭からバブル期には、黒が高級色として認知される。1982年にヨウジヤマモト、川久保玲がパリコレで発表した“黒いファッション”が火付け役となり世界中で人気を呼んだ。
「1954年から銀座の街頭で女性の服装を調査していますが、1980年代後半に一気に黒が増加しました。以前は喪服の印象もあって1割程度でしたが1990年代以降も定着しました」(名取氏)
同じ頃、自動車産業でも日産「シーマ」などダークカラーが大ヒット。2000年前後には、トヨタ「ヴィッツ」がピンクの車体で旋風を巻き起こした。
「CMで女性社長が子どもを保育園に預けた後、颯爽と出社するシーンを描きました。色も紫っぽいピンクにして、クールさを醸し出した。草食系男子という言葉が浸透する2009年頃になると、男性がピンクを身に付ける機会も増えました」(日本流行色協会・大澤かほる氏)
今年の箱根駅伝では、約8割の選手がピンクのシューズを履き話題となった。推古時代の冠位十二階にはなかった色が、令和時代に脚光を浴びている。
※週刊ポスト2020年10月30日号