認知症の母(85才)を支える立場である『女性セブン』のN記者(56才)が、介護の日々の裏側を綴る。今回は、「散歩」にまつわるエピソードだ。
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私が子供の頃、母はいつも家にいた。趣味といえば読書程度で、家族以外のために時間を使う姿を見たことがなかった。そんな母が「人生でいちばん幸せ!」と目を輝かせたのは、仕事も子育ても引退後の“第二の人生”でのことだった。
俳句、体操、風水、株式……驚くべき母の第二の人生
父が急死し、認知症の母がサ高住に転居することになったときのことだ。両親の家をひとりで整理していると、半世紀分の荷物の中に私の知らない親の姿が次々と見えて、うろたえた。特に写真は衝撃的だった。家族旅行など懐かしい写真に交じって、母が知らない人たちと楽しそうに笑っている写真がたくさん出てきたのだ。
よくよく見ると、何枚かは俳句教室だ。先生らしき老紳士を囲んで、母や中年女性たちがわれ先にとしゃべる様子が伝わってくる。同じメンバーの旅行スナップもあった。ほかにも体操教室か、集会場で溌剌と動く見慣れないスポーツウエア姿の母も。これには驚いた。私が知る母は運動とはおよそ縁遠い人。自転車にも乗れないのだ。
写真と一緒に「百歳まで歩こう」とキャッチコピーが書かれた会員カードも紛れていて、思わず苦笑した。要介護になった母が自らリハビリ系のデイサービスを選んだり、認知症が進んでも日課のように散歩に励んだりするのも、なるほど、ここに原点があったのか。
母が教室に通っていた60代半ば頃、私は両親をまったく顧みていなかった。仕事も忙しく、自分のことでいっぱいいっぱいだったのだ。それでもおぼろげに母が、「人生でいまがいちばん幸せだわ」と言っていたことだけは覚えている。
結婚前から続けていた縫製の仕事を引退し、ぽっかり時間が空いたはずだが、うまく時間をつぶしているのだと、そのときは思うだけだった。しかし、締め切りや責任から解放され、興味の赴くまま何かを学んだり、初挑戦するのは、どれほど心躍ることか。当時の母と同年代になった私もよくわかる。
そのほか株式投資や風水も学んでいた。70代半ば、40年暮らした団地から夫婦で新天地へ移ろうとしたときも、目を輝かせて吉方の物件を探していた母の姿が懐かしい。
不思議な散歩習慣も体操教室の影響?
“100才まで”を目標にしているのか、母の散歩習慣はコロナ禍のいまも継続中。認知症も進んできたので迷子が少々心配だ。たまたまサ高住の入口で母を見掛けたヘルパーさんから聞いたところでは、
「Mさん、前の道をまっすぐ行って横断歩道で止まると、キョロキョロ見回して、どっちへ行くのかなと見ていたら、クルッと回ってこちらへ引き返して来られたのよ」
最近はこの150mほどの直線路を往復し、ミニ散歩を楽しんでいるようだ。横断歩道を渡ってしまうと複雑な住宅街に入り厄介なので、横断歩道がストッパーになっているのは、ちょっと安心だ。
認知症に詳しい医療者に聞くと、目的を持って歩き出して 「この先はわからない」と自覚できることは多いそうだ。迷子になるのはそこでパニックになるからだという。
「お母様は気持ちが落ち着いていて、散歩しようという意欲があるのね」と言っていただいた。油断はできないが、母のやる気がうれしかった。その意欲、応援したいと思う。
※女性セブン2020年10月29日