「夜のお菓子」のキャッチフレーズで知られるうなぎパイの個包装が、以前は爽やかな青だったことを知る人は少ない。うなぎパイが誕生したのは1961年。春華堂2代目社長・山崎幸一氏が目指したのは、地元・浜松を盛り上げる菓子の創作だった。
着想はいたってシンプルだった。まだ知名度の低かった浜松において、唯一全国的に知られていたのは浜名湖。そして、浜名湖といえば“うなぎ”だった。
「山崎社長はお客様を喜ばせるためなら柔軟にアイデアを出すことのできる、遊び心にあふれた人でした」
こう語るのは、うなぎパイを販売する春華堂の経営管理室主任の手嶋千恵氏。魚介類であるうなぎをお菓子にする発想もさることながら、蒲焼き風の形状やお菓子にそぐわないガーリックの入ったタレの使用など、当時の常識を覆す構想を前に、職人によるさまざまな試行錯誤が繰り返された。その末に生み出されたのが、うなぎパイだった。
発売当初の個包装が青だったのは、浜名湖をイメージしたため。そこには社長の想いが込められていた。ところが、思うように知名度が上がらず、発売当初の売れ行きは芳しいものではなかった。
転機となったのは、世間が「夜のお菓子」というキャッチフレーズと、精力増強の効能のあるうなぎを結び付けたこと。もともとこのフレーズは、「一家団欒のひとときを過ごしてほしい」という願いで考案されたものだったが、“あらぬ解釈”をする人も少なくなかった。
「それならば」と社長の鶴の一声で進められたのが、滋養強壮ドリンクのカラーで知られる“赤”と“黒”と、そして“黄色”をあしらった包装への変更だった。こうして、うなぎパイは浜松を代表するお菓子として全国に知られるようになっていった。
※週刊ポスト2020年10月30日号