遺品整理や遺産相続、お墓問題など、哀しみに暮れてばかりいられないのが、身近な人の死だ。一方で、突然の死の場合には、その諸問題がなかなか解決されないという哀しみも多いのかもしれない。複雑な家庭事情も絡み合い、遺骨の行方すらわからなくなって──。
三浦春馬さん(享年30)の突然の死から3か月、残された者の哀しみは消えない。
「最後に出演したドラマ『おカネの切れ目が恋のはじまり』(TBS系)の放送が終わっても、12月には主演映画『天外者』が上映されるし、来年3月には映画『ブレイブ -群青戦記-』が公開される予定です。春馬くんの顔を見られてうれしい半面、スクリーン越しに出会うたびに、“ああ、彼はもういないのか”という寂しさが余計に募るでしょうね」(50代女性ファン)
寂しさのかたちは、立場が変わると変化を見せる。三浦さんの知人が追想する。
「彼が好きだったウイスキーを飲むときにふと思い出したり、彼が好きだったビリヤードをやっているときにそっと脳裏をよぎります。どこかのタイミングで、春馬さんが突然降りてくるんですよね」
さらに近しい関係者に聞けば、思い出話が出てくるものと想像したが、そうではなかった。
「ぼくらにとって重要なのは思い出ではなく、現在進行形の問題です。お墓がどこにあるか知りたいし、そこに駆けつけて線香をあげたい。それに彼が最後に住んでいたマンションにあった遺品はどうなったのか。彼が大切にしていたものは……。気にかかることだらけなのに、亡くなった後の情報を母親が表に出さないため、身動きが取れません」(三浦さんと近しい関係者)
四十九日に納骨を行うことが一般的ではあるが、実は三浦さんはいまだに墓がない。そして彼と近しい関係者でさえ、遺骨がどこにあるかわからない状況なのだ。三浦さんの親族が語る。
「私たちですら墓の場所もわからなければ、遺骨の前で手も合わせられない。月命日になんとなく手を合わせるだけしかできなくてね……」
爽やかな笑顔で日本中から愛された三浦さんの周辺で何が起こっているのか。それを知るには、彼の複雑な生い立ちを知る必要がある。
三浦さんは茨城県の田園地帯にある一戸建てで育った。就学前から両親が共働きだったため、夜遅くまでお腹を空かせて両親の帰りを待つことが多かった。両親は三浦さんが小学校低学年のときに離婚、ほどなくして母親は5才年下の男性と再婚した。三浦さんは母と継父の3人で暮らすようになったという。
幼少期の三浦さんが、不安を紛らわすように打ち込んだのが「芝居」だった。5才から通い始めたアクターズスクールでは、くりっとした瞳と端正な顔立ちで周囲の大人を魅了し、7才のときにNHK連続テレビ小説『あぐり』で子役デビューした。その後、14才で大手事務所に所属し、芸能活動をするために高校は堀越高校(東京・中野区)に進学して、親元を離れてひとり暮らしを始めた。それから俳優としての階段を着実に上る息子を、母親は手放しで応援した。
「母親は春馬さんの出演作品を欠かさずチェックし、舞台を見るために全国を回りました。継父も義理の息子を熱心に応援していた。この頃は家族の関係が良好で、春馬さんは継父について『よくしてもらっている』と語っていました」(前出・三浦さんの知人)