パートナーと死別して「おひとりさま」となった女性はどう、人生を過ごしているのか──。大ヒット曲『なごり雪』で知られ、来年50周年を迎えるシンガーソングライターのイルカ(69才)の夫で、プロデューサーの神部和夫さん(2007年逝去、享年59)は長い闘病の末に亡くなった。
神戸さんの左手が震えるようになったのは1985年頃だった。通院するも原因不明で、ストレスのため自宅に引きこもるようになった神部さんは、発症から3年後にパーキンソン病と診断された。その後、知人の紹介で北海道・旭川のリハビリ病院に転院。イルカは病院の近くに1DKのアパートを借りて、東京と旭川を往復しながら夫の闘病生活を支えた。
「約20年の介護で、最後の3年間はいつ危篤になってもおかしくない日が続き、毎日ヒヤヒヤしました。回復が期待できない病気のため、いつの瞬間も覚悟して生きていましたから、亡くなったときには“ああこの日が来るんだな”と想像以上に落ち着いて受け止めました」(イルカ・以下同)
しかし、二人三脚で自分を支えてくれた名プロデューサーの喪失はイルカから自信を奪い、彼女は「もう人前に立って歌うことはできない」と落ち込んだ。そんなイルカを立ち直らせたのは、四十九日に歌手の南こうせつ(71才)が発起人代表となって開催した「送る会」だったという。
「夫は派手なことが好きではない人だったのですが、『ぼくが死んだら、送る会を盛大にしてね』と生前に言っていました。私は、彼の顔に泥は塗れないと、お通夜の夜から準備を始めたので、ものすごく忙しくなっちゃって。
せっかくだから、夫にかかわるメンバーで記念アルバムも作ったんです。父や息子、昔なじみのメンバーと集まるうちに、気がついたら私も歌っていました。後になって、『これは私を忙しくさせて、歌まで歌わせるための夫の“策略”だったんだ』と気づきました」
それから十余年、彼女は現在、92才の父、94才の母、息子夫婦と孫3人の8人家族で暮らす。昨年末に両親ともに大腿骨を骨折し、退院後は在宅医療を受けながら自宅で生活している。
「私はほぼ母につきっきりで、ひとりの時間は母が寝ている間くらいですが、彼女が夜中にちょこちょこ起きてくるのが危ないので、深夜1時くらいまで居間で見守っています。その後、母の起床時間の7時半に合わせて私も目覚めます」
女の一生は長く、老老介護を担う可能性が少なくない。夫を看取った経験から、「介護や看護にはリフレッシュが必要」とイルカは語る。