視聴者の心を掴むという点において、時間はさほど大きな要素ではないのかもしれない。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。
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何かが違う。これまでの朝ドラとは何かが。いったいどこが違うのでしょうか? NHK朝ドラといえば月曜~金曜の朝8時から15分間、生活の中での楽しみを提供してきました。人情の機微、ちょっとしんみりしたり笑いがこぼれたり。肯定感が土台となった良作であれば、それでいい。大作映画ではないし深い感動を求めるのは筋違い──多くの人がそう思い込んできたのかもしれません。
しかし、今放送中の『エール』はこれまでと何かが違う。たとえ15分という短い時間であっても、1時間2時間も視聴したような深淵さを感じる時がある。見終わってからシーンを思い出したり、余韻を味わったり。まるで映画にも匹敵する奥行きのある世界を見たような……。
もちろんこれまで優れた朝ドラはたくさんありました。実在の人物の波乱万丈の人生を描いた『カーネーション』や『あさが来た』等は視聴者に大きな満足感を与えました。しかし、今回ほど静かにじわりじわりと視聴者の心に分け入り、染み入ってくるようなテイストは初めてではないでしょうか?
オープニングの独特な演出も話題になりました。第88話(10月14日)~第91話(19日)、そして第95話(23日)と、冒頭の主題歌が流れずにいきなり物語に入った。タイトルバックも主題歌もない日が続くと、それはひとつのトーンというか独特な空気となります。視聴者にとっても初めての経験で、ドラマ内の戦時中~敗戦時の重苦しい空気を正面から共有する結果になりました。
その演出意図について脚本・演出の吉田照幸監督は、「尺の問題です。撮れ高がたくさんあったので、どうしても切れませんでした」と説明。そう、「絶対に使わなくてはならない」「編集して切ることができない」と監督に思わせるような切迫した演技を役者たちが見せつけた、ということではないでしょうか。
主人公・古山裕一を演じる窪田正孝さんの激しい慟哭。自分の作った音楽が人々を戦争へと駆り立てた、という自覚。負い目。後悔。苦しみ。「音楽が憎い」という裕一の叫びが視聴者の胸にも突き刺さってくる。重たい沈鬱の中にいる夫を静かに受け止める妻・音の姿も、実に印象的でした。音役の二階堂ふみさんの演技は揺るぎなく、セリフのない間でもその横顔はたくさんのことを物語っていました。
一つの山場を迎えた10月21日93話。静かでBGMもほとんどない。どれくらい静かかと言えば……曲が書けなくなってしまった裕一に対して、「少しは食べないと」と夜食を運んできた音。
「曲が書けない、どうしても書けない」と裕一が言う。
「もう、自分を許してあげて」と音。
「いいのか」と問う裕一。
音はただ静かに裕一の前髪に触り、左右に少し分け、頬に触り、抱きしめる。3分ほどの間にセリフはたったの二言、三言。しかし、裕一が少しずつ再生していくプロセスが確かに見えた。