第99代総理大臣に就任した菅義偉氏は昭和23年(1948年)12月6日生まれの「団塊の世代」だが、同世代が政治の世界において存在感が薄いことはあまり知られていない。団塊の世代の総理は鳩山由紀夫(昭和22年生まれ)に次ぐ史上2人目。自民党の首相としては初めてである。名実ともに日本の戦後の象徴であった団塊の世代は、なぜ今まで総理の椅子に届かなかったのか。同世代である衆議院議員・鈴木宗男氏の視点から読み解く。
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団塊の世代の地方出身者は東京への憧れが強く、多くが東京で一旗揚げたいと思っていました。
特に、昭和36年までランプ生活をしていた北海道・足寄の山の中で育った私のような者は尚更です。東京との差は政治のせいだと思い、中学1年の作文に書いた将来の夢は「政治家」。夢を実現するため、高校卒業後に決まっていた就職を断わり、拓殖大学へ進学。中川一郎先生の秘書として勉強させていただきました。
同い年である菅総理とは共通点が多いんです。彼は秋田の田舎から上京し、段ボール工場などで働いていたが、その後大学に入って一旦就職したあと、自民党の大物政治家だった小此木彦三郎先生の秘書になりました。
その後、横浜市会議員を経て平成8年の総選挙で初当選した時、当時私が所属していた平成研究会(小渕派)に入ってきました。その頃の菅さんは「野中広務先生のようになりたい」と言っていましたね。野中先生も京都の町会議員から始めて国政の実力者になった叩き上げです。野中先生は汗をかくことを厭わない菅さんを「面白い奴だ」と評価していました。
今回、菅さんが自民党で初めて団塊の世代から総裁総理になりました。過去、同世代の総理には鳩山由紀夫さん(昭和22年)や菅直人さん(昭和21年)がいますが、あれはまあ、間違ってなっちゃったようなものです(笑い)。では、なぜこれまで団塊から総理が出なかったのか。
まず私たちの世代の国会議員には、秘書や地方議員からの“叩き上げ”が多い。皆さんモーレツ型で、若い頃から激しい競争を続けてきました。そのためか、途中で息切れして落選を経験している人が結構いるし、競争しすぎて目を付けられて、私のように政治的キャリアに空白を作ってしまった者もいる。大臣をやるには15年、総理になるには25年のキャリアが必要と言われますが、在職25年以上を達成できている人が意外と少ないんです。