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文学の近未来描いた桐野夏生氏「正しさの押しつけが怖い」

リアルな社会描写も描く桐野氏

リアルな社会描写も描く桐野氏(撮影/浅野剛)

 それは「表現の自由」の近未来を描いた小説のはずだった。しかし、連載開始から4年を経て、このたび刊行された桐野夏生さんの『日没』は、日本のいま、2020年の現実を鋭く抉り出す。そして私たちに問いかける。「これが虚構だと言い切れますか?」と。

「何が起きたか知りたい」と思うことがタブーになっていく

 作家がつくりあげた虚構の世界が、現実社会で起きていることと響き合い、共振して、戦慄する。描かれるのは作家の「療養所」だ。作家マッツ夢井のもとに、一通の召喚状が届く。差出人は総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会、通称ブンリン。性表現や暴力表現を規制する映倫の文学版のような組織が、いつの間にかできていたのだ。

 折しも、何人かの作家が突然、自殺していた。理由もわからないまま講習を受けることになったマッツは、不安を抱えて指定された駅に赴く。車で連れて行かれたのは断崖絶壁に建てられた療養所で、更生のために作家たちが収容されていた。

「雑誌に連載を始めたのは2016年です。2011年に東日本大震災が起きて、そのあと私は『バラカ』という震災後の小説を書き始めたんですが、周囲の反応が『よく書くね』みたいな感じだったんですね。

 作家の中にも、『私は政治的なことにはあまりかかわりたくない』って人もいて。原発事故が起きたのは事実ですし、私はそれを書くことが政治的だとも思わなかった。もといた場所に住めなくなった人もいて、それなのに何が起きたのか知りたい、と思うことがタブーになっていくのを奇妙に感じました。そのときに、タブーを描く作家が閉じ込められてひどい目に遭う小説を書いてみよう、と思い浮かんだんです」

 療養所では灰色の制服に着替えさせられ、マッツは筆名でも本名でもなく「B98番」と呼ばれる。3度の食事は粗末で、いつも腹をすかせ、収容者の誰かがことを起こせば連帯責任で昼食を抜かれる。反抗的だと指摘されると減点が科されて収容期間は延び、収容者どうしで話しているのが見つかれば「共謀罪」とみなされる。

 マッツが拘束されたのは、作家にも「コンプライアンス」を求める総務省が募った読者からのメールで、彼女の作品が「レイプや暴力、犯罪をあたかも肯定するかのように書いている」と訴えられたことが理由だった。「社会に適応した作品」「正しいことが書いてある作品」を書けと所長に言われ、マッツは激しく反発する。

「20年ほど前に、人を殺しすぎると、ある作品(『バトル・ロワイアル』)を作家が問題にしたことがありました。気がつけば、大量殺人ってあまり小説に描かれなくなっている。現実にそうした事件は起きるわけで、なぜ起きるのか、人間心理も含めて作品の中で書くことを作家がためらうのはどうかと私は思うんです。

 ちょっとショックだったのは、アメリカで、『大草原の小さな家』のローラ・インガルス・ワイルダーが、児童文学の賞から名前を外されましたよね。彼女の作品は先住民族に対して差別的だって言うんだけど、それが書かれた当時の限界なんだし、読者も受け入れて読んでいたという証明でもある。そういうものを全部見えなくしていくのは歴史修正主義にもつながります。安易に何にでもポリティカル・コレクトネスを当てはめていくのは危険だと思います」

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