国立歴史民俗博物館(千葉・佐倉市)で現在開催中の「性差〈ジェンダー〉の日本史」(12月6日まで)展が大きな反響を呼んでいる。都心からやや距離があるにも関わらず、平日でも会場は大勢の来場者でにぎわい、メディアの取材も殺到している。
同展では、書状や日記などの古文書のほか、埴輪や着物、絵図や絵巻など貴重な史料がふんだんに展示。日本における性差〈ジェンダー〉への認識が、歴史の中でいかに変化していったかを知ることができる。
古代日本では「男女」は意味を持たず、妊娠、出産後も社会的地位を得ていた
日本の古代史において、最も有名な女性は卑弥呼であることは間違いない。卑弥呼は3世紀に邪馬台国の王として君臨した。ミステリアスな存在として扱われることの多い卑弥呼が、女性ながら一国のリーダーになれた理由について、祈祷や呪術などスピリチュアルな能力に長けていたためだと信じている人も少なくないはずだ。だが、近年の女性史研究では別の面が見えてきている。国立歴史民俗博物館教授の三上喜孝さんが指摘する。
「これまでの研究では、『女性は神の声を聞くことができる』といった特別な能力が、女性リーダーの誕生する条件だとされてきました。しかし近年、スピリチュアルな言動は男女等しく行われてきたとわかってきた。すなわち、卑弥呼は呪術的な能力に優れていたからではなく、政治的な才能に長けていたからリーダーになったと考えられるのです。
実際に、卑弥呼は中国の魏と外交し、邪馬台国の南にある狗奴国と戦いました。外交や戦争には政治的な手腕が不可欠ですから、単なるおまじないの能力だけでは限界があります」(三上さん・以下同)
当時の日本列島に存在した「倭国」は、男や女という性差に重きを置かず、男女が平等に政治に参加できる社会だったこともわかっている。
「中国の歴史書『魏志』の倭人伝によれば、倭国の人々は政治の意思決定の場である『会同』と呼ばれる集会に、男女や年齢の区別なく参加していたことが記されています。現存する史料からは、会同の場で参加者たちの合意を得て、政治的能力の高かった卑弥呼を王にしたことが読み取れます。
当時の中国は男性優位の社会で、皇帝はすべて男だったため、女性が王になるのは信じられないこと。そのため、こうした経緯をわざわざ歴史書に記録したのでしょう」