音楽シーンは常に変化を続けているが、そんななかで再評価されているのが昭和歌謡だ。メディアでも取り上げられる機会が増え、世代を超えて親しまれている。
YouTubeもなく、サブスクリプションサービスもなかった昭和の時代、どうやってヒット曲が人々の耳に届いていたのだろうか。南沙織、郷ひろみ、山口百恵らを手がけた、音楽プロデューサー・酒井政利氏に話を聞いた。
1970年代、数々のヒット曲を世に送り出していた酒井さんが辿り着いたのが、メディア戦略だ。
「あれは1977年の5月のこと。電通から一本の電話がありました。『タヒチ、サモア、イースター島などに旅しませんか?』というもので、資生堂とワコールがスポンサーにつくと。メンバーは作詞家の阿久悠さん、美術家の横尾忠則さん、カメラマンの浅井慎平さんなど日本を代表するクリエイターばかり25名と聞いて、参加することにしたのです。大変に刺激的な旅で、私は磨かれた感性をお土産に日本へ戻りました」(酒井さん・以下同)
帰国後、電通から資生堂のイメージソングの依頼を受けた酒井さんが思い出したのは、旅行中に誰かが言った「時間が止まっているようだ」という言葉。そこから生まれたのが矢沢永吉の大ヒット曲『時間よ止まれ』だ。
その次に手がけたのが、国鉄のキャンペーン企画で山口百恵の『いい日旅立ち』だった。
「国鉄以外に日立と日本旅行もスポンサーになっていたので、タイトルに日立から“日”と“立”の2文字が、日本旅行から“日”と“旅”の2文字ずつが入っているのです。タイアップ路線の成功を決定づけたのは、1979年にワコールのCMで流れたジュディ・オングの『魅せられて』でしたね。この年は、三洋電機が発売するテレビのCMソングとして世に送り出した久保田早紀の『異邦人』がミリオンセラーになるという喜びも重なりました。あれが昭和歌謡の黄金期。私自身、時代に応援されていたのを感じます」
音楽業界に身をおいて来年で60年。今はネットを介して音楽を無料で楽しめる時代になったが、そのことについて酒井さんはこう話す。
「本当に変わりましたね。でも、米津玄師さんの『Lemon』を聴いて昭和歌謡が戻ってきたと思いました。歌詞にもメロディーにも哀愁があって、どこか懐かしい。彼は救世主だと思います。それに、昭和歌謡は戦争後に生まれました。だから私はコロナ後の歌謡界が楽しみなんです。傷ついた人々が立ち上がろうとするときに名曲が生まれる。期待したいですね」
【プロフィール】
酒井政利(さかい・まさとし)/1935年、和歌山県生まれ。立教大学卒業後、松竹、日本コロムビアを経てCBS・ソニーに入社。プロデューサーとして南沙織、郷ひろみ、山口百恵、松田聖子など多くのスターを生み出す。『愛と死をみつめて』(1964年)、『魅せられて』(1979年)で日本レコード大賞を受賞するほか、受賞作多数。現在は、酒井プロデュースオフィス代表取締役として音楽プロデュース業のかたわら、次世代のプロデューサーの育成に励んでいる。
取材・文/丸山あかね
※女性セブン2020年11月19日号