お笑い界の歴史は長いが、漫才やコントで一世を風靡してきた芸人には男性が圧倒的に多い。そんな“男社会”の中でも、男性以上にお茶の間の笑いを取ってきた女性芸人がいる。お笑いの“女性活躍”の半世紀をお笑い評論家のラリー遠田氏が振り返る。
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笑いの歴史が始まった頃から、すでに女性芸人は存在していた。戦前で最も有名な女性芸人の1人であるミスワカナは、夫の玉松一郎とコンビを組み、夫婦漫才を披露していた。
戦後に入ると、夫婦漫才は漫才の一ジャンルとして確立された。ミヤコ蝶々・南都雄二、鳳啓助・京唄子、人生幸朗・生恵幸子などの夫婦漫才師が人気を博した。
一方、少数ではあったが、海原お浜・小浜、内海桂子・好江、かしまし娘のように、女性だけのコンビやトリオで活動する芸人もいた。
関西の女性漫才師が全国区で認知されるきっかけになったのが、1980年に起こった漫才ブームである。男性の漫才師たちに紛れて、今いくよ・くるよ、春やすこ・けいこなどが注目を集めた。
女性芸人で初めて「天下を取った」と言える地位にまで上り詰めたのは、西の上沼恵美子、東の山田邦子の2人である。長い間、男性芸人の引き立て役に甘んじていた女性芸人が初めてテレビの中心に立った。
上沼恵美子は姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里としてデビュー。高校生とは思えない巧みな話術で瞬く間に人気者になり、関西ではテレビ・ラジオのレギュラー番組十数本を抱えたこともあった。1994・1995年には『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を務めた。
山田邦子は素人参加型のお笑い番組出演をきっかけに芸能界に入った。1989年に始まった『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』は、ゴールデンタイムに放送された女性芸人の名が冠されたコント番組として唯一無二のものである。この番組からは『愛は勝つ』『それが大事』などのヒット曲も生まれた。