【書評】『歩く大阪・読む大阪 ──大阪の文化と歴史』/平田達治・著/鳥影社/2300円+税
【評者】川本三郎(評論家)
東京本はいまや氾濫しているが大阪本は少ない。出版の世界でも東京一極集中が起きている。本書は大阪育ちの学者がこの商都の歴史と文化をあますところなく書き尽した貴重な書。大阪のことを知らない東京の人間には教えられることが多い。
著者自身が撮影した表紙の写真にまず驚かされる。石段を上からとらえている。両側の木々が石段の上に伸びている。はじめ東京の湯島あたりかと思った。大阪の上町台地。『夫婦善哉』で知られる織田作之助はここで育った。大阪の古い町だという。
坂と緑が多い東京の人間は、この写真を見て、大阪にも坂があり緑があることに驚く。知らなかった大阪の一面。太閤贔屓、徳川嫌いの大阪人には大坂の町造りは秀吉が成し遂げたと考える人間が少なくない。確かに秀吉は大坂城を築き、町の基礎を作ったが、その後の町造りはむしろ徳川幕府によるという。
堀割を開削し、水運を盛んにして商都大坂を作っていった。元禄時代には商人という新興勢力が経済を支えた。彼らの現実主義的な生き方を文学に描いたのが井原西鶴。同時代の近松門左衛門が武家出だったのに対し西鶴は町人。だから織田作之助は西鶴こそ大阪人と高く評価した。
新興の商人は富を貯めこんだりはしなかった。文化、学術を経済的に支援した。福沢諭吉が学んだ緒方洪庵の適塾をはじめ多くの学塾が生まれた。意外といっては失礼だが商都は文化都市でもあった。
大阪を舞台にした文学作品を論じる章も読みごたえがある。森鴎外『大鹽平八郎』、上司小剣『鱧の皮』、水上瀧太郎『大阪の宿』、織田作之助『夫婦善哉』『木の都』、宮本輝『泥の河』。地名が詳しく書かれた『泥の河』は大阪の人間が読めば、舞台は大阪の「場末も場末」とすぐに分かるという。土地勘は大事だ。東京生まれの谷崎潤一郎の大阪を舞台にした小説の大阪弁は、大阪人が読むと違和感を覚えるとは口惜しいけれど納得する。
※週刊ポスト2020年11月27日・12月4日号