【書評】『透明性』/マルク・デュガン・著 中島さおり・訳/早川書房/2500円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。『一九八四年』のような管理と抑圧が苛烈な全体主義社会ディストピアではない。舞台は二〇六八年のアイスランド。物欲と支配欲に駆られた人類が地球の資源を乱用した末、環境破壊と気候変動により、生活可能地域は北欧だけとなっている。グーグルその他の関連企業はもはや横断的国家のごとき存在。ある滝の断崖で、奇妙な殺人事件が起きる。
グーグルたちの権力の源は「データ」だ。個人の履歴から思想志向、リアルタイムの健康状態までの情報が、彼らに吸いあげられている。自分の中身が透け透けになり監視される報酬として、ベーシックインカムが支払われるため、人々はこの穏やかで「真綿で人を包むような独裁」を、自由と勘違いして受け入れている。
「エンドレス」という小さな企業が進めてきたのは、新しい“トランスヒューマニズム”と不老不死のためのプログラムだ。同社の女社長は、グーグルの推進する不老不死は、ナチのような「優生学」が基本理念の新人類創造だが、自分たちのそれはキリスト教の原点に立ち返り、人間の「魂」を完全保存するものだと主張する。
どちらも人を選別することに変わりはないが、彼女は「名だたる人殺しの独裁者と違って、人間から生を取り上げようとはしない」。選ぶのは生きるべき者ではなく、死後に復活できる者だ。
思うに、「エンドレス・プログラム」とは、一つの信仰であり、新たな聖書を書きあげるプロセスに他ならないのではないか。女社長は言う。すべては、環境保護と、人々に尊厳や他愛精神を奪回させるためだと。
終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。
※週刊ポスト2020年11月27日・12月4日号