ここ数年、プロ野球の引退試合では対戦内容が話題になる。今年は、阪神・藤川球児のラスト登板がクローズアップされた。11月10日の対巨人戦(甲子園球場)、4対0と巨人リードで迎えた9回表、矢野輝弘監督からボールを渡された球児は代打の坂本勇人、中島宏之を空振り三振に仕留め、最後は重信慎之介をセカンドフライに打ち取った。
このシーンについて、巨人やレッドソックスなどでプレーした上原浩治氏はYahoo!個人の記事にこう書いた。
〈今回、勇人、中島両選手の空振りには「あうんの呼吸」があったと言われても仕方がない。中島選手が空振り三振に倒れた場面では、テレビ画面に映った球児も苦笑いを浮かべていた。言うまでもなく、球児は超一流の投手だ。自分のストレートの球威、伸びが全盛時と現状でどう違うかは自分が一番わかっている。対戦した打者のスイングの軌道も、当事者同士ではごまかせない。
球児に限らず、中日の吉見一起投手が11月6日には、ナゴヤドームで打者1人から空振り三振を奪って現役生活にピリオドを打った。「引退試合」は日本らしい演出でもあり、声高に否定するつもりはない。ただ、難しい問題だなあという感情もぬぐえない〉
来季以降もシーズン終盤になれば、その在り方が議論されるだろう。
そもそも、投手の引退試合で打者が三振するという慣例はあるのか。あるとすれば、いつ頃から出来上がったのか。ヒットを打った選手はいなかったのか。昭和のプロ野球を中心に振り返ってみよう。
今も破られていないシーズン47完投(49試合)を誇り、巨人の球団最多勝投手である別所毅彦は昭和37年3月20日、西鉄とのオープン戦(後楽園球場)で先発マウンドに上がった。1回2死三塁のピンチを迎えると、最後の打者となる4番・豊田泰光は豪快なスイングで空振り三振。試合後、別所はこう語った。
〈豊田のヤツ、花をもたしてくれたんだよ。三振した球など一尺(約30センチ)も離れていたからね〉(昭和37年3月21日・毎日新聞)