認知症の母(85才)の介護をすることとなった一人っ子のN記者(56才)が、母による大掃除での大活躍を振り返る。
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私が子供の頃、大掃除は年末の必須行事だった。普段の掃除では発動しない大がかりな家事ワザのオンパレードで、大人の “本気”を見せつけられたものだ。気ぜわしくも妙にワクワクした高揚感が、認知症になったいまも母の心を躍らせる。
障子紙に霧を吹くと魔法のように“張り”が!
「ねぇNちゃん、今年の大掃除はどうするんだっけ?」
久しぶりに母を訪ねると、唐突に聞かれた。年末に向けたハウスクリーニングの新聞チラシを見たのだろう。
母がサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に転居してきて6年が経つ。最近は小さな自室の掃除も忘れるようになったのに、何かの拍子に “長年の習慣”を思い出すのだ。
昨年まではエアコンや浴室掃除を業者さんに頼んだりもしたが、人の出入りが制限される今年は諦めねばならない。
「いいよ、そんなに汚れてないし」と答えると、がっかりしたようにため息をついた。
母が先頭に立って家族の大掃除を仕切っていたのは半世紀も前。12月、師走に入ったある休日の朝、意を決した母の号令で、大掃除の火蓋が切られるのだった。
父は毎年、網戸と換気扇の専任。普段は家事を手伝う姿などまったく見せないのに、「これはオレの仕事だ」と言わんばかりに手際がいい。洗剤や歯ブラシ、ボロ布、工具をズラリと並べて黙々と換気扇プロペラをこすった。
母の方はカーテンを洗濯しながら、家中の棚や押し入れの中身を引っ張り出して整理。掃除開始早々、小さな家の中はたちまち足の踏み場もない戦場のようになる。元は適当に収まっていたのだから、わざわざ散らかすことはない気もするが、すべて引きずり出し、拭き清めて整理する。まるで禊のような作業が、母の大掃除だった。
大した戦力にならない私はもっぱら母のアシスタントだったが、毎年楽しみな作業があった。障子の張り替えだ。
まず古い障子紙をはがす前に恒例の穴開け。ここは子供の自分の出番だと盛大に指をズボズボッ。そして障子紙をはがした後の木枠に塗る糊は、ご飯粒を粥状に煮潰したものだった。米のでんぷんが強力な接着剤だと知るのはずいぶん後のことで、小鍋から刷毛で糊をすくう母はまるで魔法使いのように見えた。
私がワクワクするのはこの後だ。新しい障子紙を張ると糊のあたりがグニャグニャするのだが、母が霧吹きで水を吹きかけてしばらく置くと見事にピーンと張った。まさにマジック。「ママすごい!」と、本気でつぶやいたものだ。
部屋も片づき、障子も換気扇も新品のようにきれいになると、窓から冷たい風が吹き抜けて、見慣れた風景も新年用にリセットされた気がした。
何もしなくても新年はやって来るけれど……
「よし間に合った! これで年を越せるぞって、毎年パパが言うのよ(笑い)」と、母が楽しそうに笑った。いまの母には、半世紀前くらいの思い出話がいちばん効く。
「大掃除が終わる頃になると、お米屋さんがお餅を届けてくれたよね。“いよいよ”って感じだったなー」
私も必死に記憶の断片をかき集めるのだが、大掃除のシーンは結構、鮮明だ。家族が一丸となって挑んだ経験は、旅行などより深く心に刻まれるのかもしれない。
※女性セブン2020年12月10日号