【書評】『玉電松原物語』/坪内祐三・著/新潮社/1700円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
東京生まれの書き手は、「街」と「町」の使い分けが正確だ、と坪内祐三さんが書いていたのを覚えている。都内の片隅(豊島区)で生まれ育った私も、双方の表記を厳密に区別していたから、さすがに坪内さんはよくわかっているなあ、とうれしくなった。
昭和三十三年、渋谷区初台生まれの坪内さんは、三十六年に世田谷区赤堤に転居した。通称玉電(東急世田谷線)の松原駅界隈で、「小さいとは言え確かな商店街があった町」だ。本書はそこで成長していく彼や、彼の身近にいたさまざまな人々の姿や声をいきいきとつづっている。長く温めていたテーマだったといい、おそろしいほどの記憶力によって、半世紀も前の赤堤の暮らしが細やかに再現されていく。坪内さんは今年一月に急逝され、遺作となった。
坪内さんが引っ越した当時の赤堤は、畑があり、牧場さえもある「田舎」だった。小学校六年の時、牧場から逃げ出した牛が赤堤通りの真ん中にデンと座っているのを目撃したという。
駅前には商店街があった。「商店街といった時、私は、本屋、おもちゃ屋、お菓子屋、文房具屋、電気屋などがある町をイメージする」と書いている。本屋は家庭に雑誌や本を配達してくれるのが一般的(わが家もそうだった)で、坪内家には配達員「顔デカ男」と「安さん」が届けてくれた。そば屋の出前持ち「山田君」や「ヒッピーそうちゃん」と野球をしたくて小学生の坪内さんが出前を頼んでいたというところは、いかにも世慣れた町の子という感じがする。店と家庭が一定の距離感を保ちながらもつながっていた時代だった。
少年のころから遊びの企画力が冴えていた坪内さん。金銭感覚がしっかりしていて、面倒見がよく、あだ名をつける名人でもあった。彼の語り口に魅せられながら、私自身の記憶も呼び覚まされていき、酒でも酌み交わしながらおしゃべりをしている気分になってしまう。すてきな本を残して、坪内さんは旅立ってしまった。
※週刊ポスト2020年12月11日号