【書評】『その日なぜ信長は本能寺に泊まっていたのか 史談と奇譚』/中村彰彦・著/中公新書ラクレ/900円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)
歴史小説家の中村彰彦氏は、秀逸なエッセイストとしても知られる。最新の歴史随筆集は、誰もが疑問を持つテーマや、知られざる逸話を中村氏独特の技で巧みに捌いている。信長が何故に法華(日蓮)宗本能寺を宿所としたのか。
それは安土宗論で浄土宗に論破されて京都から追放同様になった法華宗の寺院が空き寺になっていたからだ。なかでも本能寺は伽藍と三十余坊の塔頭を有する一大本山であり、信長が座所を設けるのに最適だったのである。
薩英戦争の講和談判で大英帝国の全権と渡り合った重野厚之丞の「ああ言えばこう言う」は、常に英国人の意表をつき、先手をいつもとる見事な外交術を示した薩摩隼人の冴えを描く。重野は幕府の学問所に派遣された薩藩きっての秀才であった。
英国人相手の外交交渉に派遣されると、自分がこれからイギリスに出かけて直談判するとか、英国軍艦を購入したいとか、破天荒な主張をしてやまない。重野は新政府で外交官になったかと思いきや、実は東京大学の史学科の創始者として学界に足跡を残した。幕末の人材は何をしても頭角を現したのである。
新選組の武田観柳斎はもともと出雲人なのに、甲州流軍学を江戸で学んだので信玄とのつながりをちらつかせた。ハッタリで旧名・福田広を改めたのである。近藤や土方も三多摩の出身で武田信玄との縁に触れたがる気質を利用して新選組でのしあがったというのだ。
「『坊ちゃん』の〈幕臭〉について」は、漱石の名作を佐幕・反幕で腑分けする秀逸のエッセイである。幕府御家人の出の坊ちゃんが狸・赤シャツらの反幕派と衝突して帰京、街鉄技手になったのも佐幕派だったのと無縁ではない。
工手学校(現工学院大学)はじめ街鉄(後の都電)には「幕臭」を持つ者が多く、雰囲気もなじみやすく落ち着いたのは本当かもしれない。ついでにいえば、漱石も三方ヶ原の戦いで家康の命を救った夏目吉信の末裔なのである。作者も小説の主人公も幕臭ぷんぷんなのだ。
※週刊ポスト2020年12月11日号