映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の黒沢年雄が、心酔していた三國連太郎さんや『狼の紋章』で共演した松田優作さんについて語った言葉をお届けする。
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黒沢年雄は東宝の専属俳優だった一九六〇年代後半から七〇年代初頭にかけて、ハードボイルド色の強い作品に多く主演している。一九七〇年の映画『野獣都市』では三國連太郎の下でダーティワークに勤しむ若者を演じている。
「三國さんはクレージーだね。どこまでが正気なのか分からない。僕、あの人に心酔して、傾倒して、半年くらい傍にいたことがあるんです。
その時に聞いたのが、三國さんが鳥取の生まれで親がやっていた工場が倒産したんで風呂敷包みを持って東京に来て、『よーし!』って苦労しながら俳優を目指した──という話でね。『そんな素晴らしい俳優さん、いるんですね』って小林桂樹さんに話したら、『ばか、あれは全部うそなんだよ』って。
小林さんも一度は騙されたみたいです。『あいつは伊豆の生まれで、親は東京で新聞記者だよ』だって。でも、一方では『演技の勉強だ』といって、ホームレスの格好をして町でリヤカーを引いていたというんだけど、これは本当なの。
『野獣都市』では、三國さんは最後に薬でおかしくなるという役だったんですが、二子玉川の高島屋でそのシーンを撮る時になかなか来ないんだよ。で、一時間遅れて来たら、もう役になり切っている。『おはようございます』と挨拶しても返事はない。顔を真っ白にして、背広も真っ黒、靴下も半分脱げそうでね。
それでテストで僕が『社長!』って顔をはたくんですが、『僕はもう意識不明なんだから、思い切りやらなきゃダメだ』というんだ。凄い人だと思った。そのくらい入り込んじゃう。それで思い切り引っぱたいたら、今度は『強すぎる!』って」