「結婚を認める」──11月30日に発表された誕生日会見で、秋篠宮皇嗣はそう口にした。
〈結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です〉
眞子内親王が13日に示した小室圭氏との結婚への強い決意に“折れた”と取れる会見だった。宮内庁担当記者が言う。
「母・佳代さんと元婚約者の間に『400万円借金トラブル』が発覚してからの小室氏の対応は、秋篠宮夫妻の期待を裏切り続けるものでした。このままご結婚となれば、眞子さまのご苦労も想像される。“もう一度冷静に考えてほしい”という思いもあったのではないでしょうか。
ただ、皇嗣殿下も紀子さまとの長い恋愛期間を経て結ばれた経緯がある。自由に結婚相手を選ぼうとする娘に苦言を呈するのは憚られたのかもしれません」
振り返れば、秋篠宮皇嗣も結婚までの道のりは決して平坦とは言えなかった。
秋篠宮皇嗣(当時は礼宮)が紀子妃にプロポーズをしたのは1986年6月。2人が学習院大学在学中、20歳の時だった。しかし、婚約内定発表は1989年9月。実に3年以上の時間を要したのだ。
「1989年1月に昭和天皇が崩御されたのも婚約までに時間がかかった理由のひとつですが、もっと大きかったのは皇室で初めての“自由恋愛”だったこと。
紀子さまのお父様は学習院大学の教授で、川嶋家は構内にある3LDKの教職員住宅が住まいでした。当時、宮内庁関係者の間で“普通のお嬢さんで釣り合いが取れるのか”という声があったのも事実。まだ兄の浩宮さま(現・天皇)がご結婚されていなかったこともあり、懸念を示す声も多かった」(同前)