福田雄一監督で、豪華なキャストが集結した映画『新解釈・三國志』。まさに福田ワールドと言うべき同作は、これまでの『三國志』とは一風変わった作風が話題を呼んでいる。時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんが見どころを解説する。
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何かと話題の映画『新解釈・三國志』。さすがに『銀魂』『今日から俺は!!』の福田雄一監督による「新解釈」だけに、これまで多くの小説、マンガ、映画が描いてきた『三國志』とはまったく異なる驚くべきシーンの連続なのだが、不思議なことに「まあ、いいんでないかい」と思えてくるのである。
そもそも『三國志』は、約1800年前、広大な中国で「魏」「蜀」「呉」三国が覇権を争い、群雄割拠していた時代の話。蜀の国のリーダー劉備を福田組映画初参加の大泉洋。彼にスカウトされる軍師・諸葛亮孔明をムロツヨシ、魏の曹操を小栗旬、呉の周瑜を賀来賢人、暴君・董卓を佐藤二朗、黄巾を山田孝之など、共演陣には福田組が大集合している。
りっぱなヒゲ、がっちりした鎧、山野を疾走する馬、うごめく大軍…おお、超大作!! 確かにデラックスなのだが、よく見れば、「英雄」と言われる劉備は、戦いのたびに腰が引けてるし、「稀代の天才軍師」と称される孔明も「戦においてもっとも大切なことを申します」と言うから、どんなすごいことを言うのかと思ったら、「ネバギバ☆」とごまかし笑いをする始末。
あらら、予想通り笑える『三國志』になってるよ…。記者会見などで大泉、ムロが「『三國志』ファンには見てほしくない」「(香港でも公開されると聞いて)現地には『レッドクリフ』に出た人もいるかもしれないのに大丈夫!?」と不安げだったのもよくわかる。
が、それでも「いいんでないかい」と思えるのは、この解釈をした人物として、現代の歴史学者・蘇我宗光役で西田敏行が出ていること。西田先生に「私の新解釈では、こんな感じだったんじゃねかな~」と言われたら、「ですよね~」ともうなずきたくなる。大泉・ムロの「誰も劉備に会った人はいないんだから、こういう人だったかもしれない」という発言は、真実なのである。
この真実をついたのが、2014年に放送されていた福田脚本・演出、主演・ムロツヨシ(ちなみに連続ドラマ初主演作)のドラマ『新解釈・日本史』であった。
毎回、ムロが歴史上の有名人になって、本当はこういう人だったかもしれないという姿を描いたこのドラマ。織田信長は本能寺の変で自害しようとすると、「こえーっ」と恐怖心を丸出しにし、坂本龍馬はなかなかまとまらない「薩長同盟」のために西郷隆盛にスリスリしたり、ポニーテール少女のように髪を揺らしてアハハとスキップしたり、聖徳太子に至っては、「憲法を定めましょう」と言われ、太極拳みたいな拳法のポーズをとったりする。歴史偉人が全員ボケまくり、わがまま放題に「新解釈」をされていたのである。
『新解釈・三國志』は、福田監督の壮大な新解釈魂が、世界サイズになった。そう「新解釈」すれば、すんなり納得。「〇〇である」「〇〇しようぞ!」など、いかにも偉人が言いそうなセリフ回しから、一気に「うるせーわ」「絶対やだかんな!」と現代人の普通の会話言語にスイッチし、カックンとなる技は、世界サイズでも炸裂している。
過去にもたとえば、「忠臣蔵」の偉大なリーダーとして称えられる大石内蔵助を「優柔不断男」「大の女好き」などと描いたドラマや作家もいた。歴史の新解釈はエンタメの伝統でもある。壮大なのにゆるく笑える「新解釈」が、まだまだ続けばいいなあと願わずにはいられない。ネバギバ☆。