【書評】『民主主義とは何か』/宇野重規・著/講談社現代新書/940円+税
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
野党議員が、総理や大臣に論戦を挑む国会中継を見るたびに失望感が拭えないのは、その質問力の低さにある。「社会全体の利益」に関わる問題を取り上げながら、適当にいなされ、追及できないで終わることが多いからだ。
民主主義を実践する国会において、国民の代表として選出された議員が「疑問に思える行動すべてについて十分な説明」を求められないのは、どこに原因があるのか。本書は古代ギリシャ以来、2500年以上にわたる民主主義の歴史を紐解きながら、さまざまな危機に直面している「議会制中心の民主主義」の現状を明らかにする。
日本の議会は、「ビスマルク亡き後、ドイツ政治を支配した」「保守的な官僚層」が、政治をコントロールしていた時代と似ている。官僚機構が牛耳る「執行権(行政権)」が、「統治の中心的な機能」を担っており、必要な情報開示をおこなわず、公正な議論を阻んでいるからだ。結果、「行政に対する監督能力」の低下を招き、政府をチェックできない「完全に無力な議会」を生み出している。
暴君が「都市国家アテナイ」を武力によって統治した専制時代とは違うものの、肥大化した官僚機構による「執行権の強大化」は、「民主的専制」をもたらし「多様な意見の表出と討論」の機会を奪うことになる。
その批判をかわす手立てとして日本においては、審議会制度があるのかもしれない。民間の有識者による議論を経た政策なり提言を、国会に提出しているので、あらかじめ官僚の暴走には歯止めがかけられているとして──。
本当にそうだろうか。私は、厚労省の審議会の委員を10年以上務めているが、その実態は「閉じられた場所において」、反対意見を排除し、官僚主導で結論がまとめられ、「多数派の意見は教条化し、硬直化」するのが常だからだ。「日本の民主主義を進化させるため」、なすべきこと、考えるべきことの指針と、歴史認識の重要さを再認識することで、視界が立体的に広がることを実感した。
※週刊ポスト2020年12月18日号