【書評】『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』/アンドレ・ヴィオリス・著、大橋尚泰・訳/草思社/2600円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
モノクロ映像をカラー化することで、歴史は身近になるだろうか。庶民の記憶を語ることで未来の戦争は防止できるだろうか。かねがね疑問に思っていたのだが、本書を読み、こんな直截なやり方がかえって有効ではと思った。タイムマシンに乗るのである。
『1932年の大日本帝国』は、六十一歳のフランス人女性記者兼作家のヴィオリスが、昭和七年の日本に降り立つ。日本についての予備知識はまったくない(これは現在の我々と同レベルだ)。それでも協力者の力を借りて、たくさんの人間に会い、話を聞き、あちこちに出かける。たった三ヶ月間の日本滞在なのだが、まるでタイムマシンで九十年前の「異国日本」を訪れた昂奮を味わえる。
記者の特権とはいえ驚くのは、当時の外相・芳沢謙吉、陸相・荒木貞夫にすぐに取材できてしまう。これではまるで「ひとりリットン調査団」である。軍人、政治家、経済人にもどんどん会う。
この年、昭和七年は、満洲国建国があり、五・一五事件があり、農村は疲弊し、日本は世界の孤児になりつつあった。そういう教科書的記述では収まらない、好奇心の発露そのものの突撃取材の日々が続く。犬養首相の葬儀も観察の対象だ。
宿舎は帝国ホテル、所属する新聞は世界一の発行部数を誇っている。取材費も相当ある気配だ。還暦過ぎたインテリおばちゃんなのに腰が軽い。寒い朝に早くに起きだし、職業紹介所に行く。失業者の列には品格ある紳士が多く、身体を温めるため足踏みをしている。
天皇のお出ましがあると聞きつけて、二重橋前に行く。日本国民の熱狂を見ようとしたのだが、そこにいたのは五百人ほど。彼らは地面にひれ伏して、叫び声ひとつあげない。あらためて園遊会でそばから見た若い君主は、「深い倦怠の眼」をしていた。
このタイムマシンの有能な案内役は訳者の大橋尚泰である。訳者の親切な注と豊富な写真が理解を助け、バランスのとれた日本像が提供される。
※週刊ポスト2020年12月25日号