2020年2月に亡くなった野村克也さんは、選手・監督としてプロ野史に残る偉大な功績を残した。南海時代(1970~1977年)は、34歳の若さで選手兼監督に就任。「4番打者」「捕手」「監督」の3つの重責を担い、1973年にはリーグ優勝を果たしている。当時、同じチームで過ごした野球評論家の江本孟紀氏が、野村さんから受け取った「特別な言葉」を振り返る。
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ノムさんは「川上巨人はなぜ強い」「阪急は何が変わった」と相手の研究ばかりしていた。研究したうえで、「いかに自分たちの弱点をカバーするか」というマイナス思考でスタートする。
試合前のミーティングでも、各打者ごとに「初球に何を投げる」から始まり、「2球目は?」「追い込んだら何を投げる」と延々と続く。「第1球はピッチャーとバッターどちらが有利か。理由も書け」とペーパーテストをしたこともあった。いざマウンドに上がると、相手の何倍も攻略法を練ったことが自信と余裕につながった。
その姿勢が本当に役に立ったと痛感したのは、阪神に移籍した後です。巨人戦ではONとの対戦が勝負を分ける。しかし、マウンドからは王(貞治)さんに欠点なんて見つからない。その時にノムさんの「長所のそばに欠点がある」という言葉を思い出したんです。王さんの長所は一本足打法。足の上げ方で投手ごとにタイミングを合わせている。だから1球ごとに投球のモーションのリズムを変えたんです。それが王さん攻略のカギになりました。
ノムさんがいなければ今日の僕はなかったでしょうね。
頭が切れるノムさんと野球をやっていたから、「ベンチがアホやから」という言葉で阪神を辞めるハメになってしまったけどね(笑い)。
【プロフィール】
江本孟紀(えもと・たけのり)/1947年生まれ。東映、南海、阪神で113勝をあげる。南海での4年間でエースとして52勝を挙げた。34歳で引退後、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』が200万部を超えるベストセラーに。参議院議員を2期務めた。
※週刊ポスト2021年1月1・8日号